大島如雲の詳しい説明と 買取

安政5年(1858)2月2日江戸小石川の生まれで、通称は勝次郎、別号に一乗軒。
鋳金師の父大島高次郎に蠟型鋳造、鋳浚彫刻術などの鋳造技法を学ぶ。
幼少期より父の仕事を手伝い、修行を積み、後に家業を継ぐ。
明治14年(1881)第2回内国勧業博覧会では、高村光雲と共に合作「龍神」を出品。
その技術の確かさと高さが注目された。
その後、東京彫工会、日本美術協会、東京鋳金会等に出品を続けた。
明治23年(1890)から昭和7年(1932)まで約40年間にわたり東京美術学校(現東京芸大)で教鞭をとり、後進の指導に貢献した。
明治33年(1900)パリ万国博覧会に出品した「稲穂群雀」で金賞牌を受けた。
大正7年(1918)には、東京美術学校の教授に任じられた。
昭和15年(1940)1月4日東京市瀧野川の自宅において死去、享年83歳。
精巧な蝋型鋳造を得意とし、精緻な作品を残している。
蝋型鋳金の名手として知られ置物や額、文房具、小物などに秀作を残しているが、現存作品が少ないとされている。
帝展無鑑査で、明治~昭和時代前期に活躍した鋳金家で鋳金界の老大家と言われている。
大島如雲を師と仰いだ鋳造家には、松原如方、野上龍起らがいる。
代表作に「濡獅子図額」(東京芸大蔵)など。

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