今泉今右衛門の主な出来事や陶芸作品の年表と 買取

今泉今右衛門 歴代

初代 今泉今右衛門 生年不詳~1665(寛文5)年
二代 今泉今右衛門 生年不詳~1689(元禄2)年
三代 今泉今右衛門 生年不詳~1717(享保2)年
四代 今泉今右衛門(喜太夫) 生年不詳~1758(宝暦8)年
五代 今泉今右衛門(平兵衛) 生年不詳~1775(安永4)年
六代 今泉今右衛門(覚左衛門)生年不詳~1816(文化13)年
七代 今泉今右衛門(平兵衛) 生年不詳~1843(天保14)年
八代 今泉今右衛門(助五郎) 生年不詳~1854(嘉永7)年
九代 今泉今右衛門 生年不詳~1873(明治6)年

十代 今泉今右衛門(1847〜1927)
明治6年(1873)襲名。本名は今泉藤太。
今泉家は鍋島藩窯の御用赤絵屋を専業としてきたが、幕藩体制が終わり、明治維新の廃藩置県により鍋島藩の庇護を失う。
鍋島藩窯の御用赤絵屋制度が消滅した中で、新しい時世で焼物に携わって生き残っていく為には赤絵付けのみでなく、
素地から求めて生産する一貫した必要性を迫られた。
明治6年、本窯を築くと、 生地から染付、上絵に至る一貫した色鍋島の制作に踏み切る。
赤絵の技法を守り、今右衛門窯の基礎を作る。
1873(明治6)年に10代今泉今右衛門を襲名し、本窯を築いて盛期鍋島や古伊万里の再興に取り組んだが、
当初は窯焼きの経験が少ない事も重なって失敗の連続だった。
真摯な態度で仕事に打ち込む今右衛門への関心が次第に高まり始め、
大正以降には食器を中心とした多くの注文が寄せられるようになった。
10代作品の多くは精緻な上手物の食器で占められており、どれもが当時の最高水準の窯業技術を追求した作品が多い。
明治から大正初期にかけての苦境を乗り越え、最晩年に至って色鍋島復興への足掛かりを築き上げた。

十一代 今泉今右衛門(1873〜1948)
昭和2年(1927)襲名。本名は今泉熊一。
1927(昭和2)年、11代今泉今右衛門を襲名。
1937(昭和12)年、英国ジョージ6世戴冠式の際に大宮御所より御用命を受けた。
         昭和になって今右衛門窯でも高級品を生産する技術が安定し、
         色鍋島再興の悲願が目前に迫った。
1929(昭和4)年、世界恐慌。
1939(昭和14)年、第二次世界大戦が始まる。
         戦況の悪化に伴って有田では制作統制が敷かれ、
         高価な美術品は贅沢品として次第に販路を失っていき、
         有田の窯業産業にとっても苦難の時代となる。

画を描くのが得意で10代までの赤絵技法に加え色鍋島や古伊万里の復元。
作品の質の向上、特に最盛期の色鍋島、古伊万里の復元に努め、優れた作品を残す。
現在の今右衛門における色鍋島復元技術の基礎を造り、宮内省、各宮家の御用命を受ける等色鍋島復興の基礎を作る。
厳しい経済状態の今泉家を再興すべく、10代を手伝って窯焼きを続ける傍らで行商に奔走して苦労を重ねた。
10代から引き継いだ古典の名品復興に主眼を置きながら、新しい時代に即した近代今右衛門の新様式を模索し続けた。
歴代今右衛門の中でも最も名工の誉れが高く、絵付けにおいては右に並ぶ者はいないとまでいわれた。
盛期鍋島の献上品にさえ匹敵する高水準の名品を生み出した。

十二代 今泉今右衛門(1897〜1975)
佐賀県生まれ。本名は今泉平兵衛。
1897年(明治30)今泉平兵衛(12代)生まれる。
1916年(大正5)佐賀県立有田工業学校を卒業後、家業に従事する。
1940年(昭和15)商工省より工芸技術保存作家の指定を受ける。
1948年(昭和23)12代今泉今右衛門襲名。
        敗戦の混乱の中で高級陶磁器が売れるような時代ではなく、
        自ら営業に奔走する事もしばしばあった。
1952年(昭和27)「色鍋島」の技術が文化財保護委員会より無形文化財の指定を受ける。
1954年(昭和29)第一回無形文化財日本伝統工芸展に「色鍋島芙蓉絵高台皿」を招待出品する。
1955年(昭和30)第二回日本伝統工芸展一般公募により出品する(以後毎回出品)。
        日本工芸会正会員となる。
1957年(昭和32)日本伝統工芸展の出品作品が政府に買い上げられ、
        インドのネール首相に贈呈された。
1958年(昭和33)ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞。
1959年(昭和34)皇太子御成婚に際し、和食器一揃い注文を受け納品する。
1963年(昭和38)紺綬褒章を受章しました。
1965年(昭和40)「色鍋島卯木文大皿」が文化財保護委員会に買い上げられた。
1966年(昭和41)佐賀県文化功労者として表彰を受けた。
1967年(昭和42)色鍋島の技術に対し、紫綬褒章を受ける。
1968年(昭和43)色鍋島等の蒐集品を展示する「今右衛門古陶磁参考館」を設立し、一般に公開する。
1970年(昭和45)色鍋島の伝統的技術を保存、色鍋島・古伊万里の蒐集品を展示するため、「色鍋島技術保存会」を結成。
1971年(昭和46)色鍋島技術保存会代表として、国重要無形文化財総合指定を受ける。
1972年(昭和47)勲四等旭日小綬章を受章。
1975年(昭和50)昭和天皇・皇后両陛下アメリカ訪問に際し、
        フォード大統領への御土産として「色絵草花更紗文花瓶」が宮内庁よりお買い上げを賜る。
        従五位を受けた。
        有田町名誉町民の称号を受ける。

祖父である10代、父である11代のもと専ら家業に打ち込み、近代色鍋島の復興に生涯を捧げる。
10代、11代から受け継がれた伝統や古典美を重んじながら、
職人気質の妥協を許さない姿勢で独自の格調高い革新的な作風を示した。
色鍋島の研究に生涯を費やし釉薬の発色と細やかで緻密な絵付けが特徴的。
古陶磁の目利きでは右に出る者はいないとまでいわれる程の熱心な研究家として知られている。

十三代 今泉今右衛門(1926〜2001)
昭和50年(1975)襲名。12代の長男。
佐賀県生まれ。本名を善詔。
1943(昭和18)年、佐賀県立有田工業学校を卒業。
1949(昭和24)年、東京美術学校(現:東京芸術大学)工芸科を卒業。
         帰郷、家業の「今右衛門窯」に従事する。
1958(昭和33)年、佐賀県展で最高賞を受賞。
1963(昭和38)年、一水会陶芸展で一水会会長賞を受賞。
         一水会陶芸部会員に推挙される。
1965(昭和40)年、日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受賞。
         日本工芸会正会員に推挙される。
1972(昭和47)年、「色鍋島かるかや文鉢」が東京国立近代美術館に買い上げられた。
1974(昭和49)年、一水会陶芸展審査委員に就任しました。
1975(昭和50)年、13代今泉今右衛門を襲名しました。
1976(昭和51)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
         父の死去で色鍋島技術保存会に対する国の重要無形文化財総合指定が解除されたが、
         「色鍋島今右衛門技術保存会」を改組して会長となり再認定を受けた。
         日本工芸会理事に推挙された。
         日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられた。
1979(昭和54)年、日本伝統工芸展優秀賞(NHK会長賞)、佐賀県芸術文化賞を受賞。
1980(昭和55)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1981(昭和56)年、日本陶芸展最優秀作品賞(秩父宮賜杯)を受賞。
         有田陶芸協会発足に伴って会長に就任。
         日本工芸会西部支部幹事長に就任。
1982(昭和57)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
         日本伝統工芸展の出品作品が東京国立近代美術館に買い上げられた。
         日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1983(昭和58)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1984(昭和59)年、西日本文化賞を受賞。
1985(昭和60)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1986(昭和61)年、紫綬褒章を受章、佐賀県政功労賞、佐賀新聞文化賞を受賞。
1987(昭和62)年、日本工芸会常任理事に推挙された。
             日本伝統工芸展鑑査委員に就任。
1988(昭和63)年、毎日芸術賞、第一回MOA岡田茂吉賞を受賞。
1989(平成元)年、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定され、色絵磁器の確立と技術継承に力を入れる。
         日本陶磁協会金賞を受賞。
1991(平成3)年、佐賀県庁県民ホールの陶壁を制作した。
1992(平成4)年、国際陶芸アカデミー(IAC)の名誉会員に推挙された。
1993(平成5)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任。
1995(平成7)年、国際文化交流に対し、外務大臣より表彰された。
1998(平成10)年、グッドデザイン賞審議委員に就任。
1999(平成11)年、勲四等旭日小綬章を受章。
2000(平成12)年、日本工芸会副理事長に就任。

伝統的な色鍋島の技法を受け継ぎながらも、現代感覚の作陶を目指し、装飾技法に加え、
吹墨」、「薄墨」、「吹重ね」という独創的な作風を創出した。
呉須釉薬を吹き付ける「吹墨」を基本として、吹墨と薄墨を重ね合わせる「吹重ね」の技法を確立する。
13代が日本陶芸界に与えた技術的功績は計り知れず、
端正で流麗な造形、安定した色調、精緻な文様の斬新さには驚嘆すべきものがある。
今までの今右衛門にはない新技法を造り、現代今右衛門として高い評価につながっている。
鍋島様式を自家薬籠中のものとなしえて、染付下地の色絵に奥行のある作風を樹立した。

十四代 今泉今右衛門(1962〜)
平成14年(2002)襲名
佐賀県生まれ。本名を雅登。
1985(昭和60)年、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科(金工専攻)を卒業。
         クラフト工芸や金属工芸に興味を持ち、大学では金工を専攻する。
1988(昭和63)年、一時京都にてオブジェ陶の第一線で活躍していた鈴木治の工房で修行を重ねる。
1990(平成2)年、父に師事して色鍋島の技術の研鑽に努める。
         父の下で伝統技法を学び、本格的に製作を開始する。
1996(平成8)年、佐賀県美術展で知事賞を受賞。
        一水会陶芸部展で一水会会長賞を受賞。
        財団法人今右衛門古陶磁美術館学芸員に就任。
1997(平成9)年、出石磁器トリエンナーレで受賞しました。
        西部工芸展で鹿児島放送局賞を受賞。
1998(平成10)年、一水会陶芸部展で一水会会長賞を受賞。
         佐賀銀行文化財団新人賞を受賞。
         日本伝統工芸展で工芸会会長賞を受賞。
         日本工芸会正会員となる。
         佐賀新聞文化賞奨励賞を受賞。
2002(平成14)年、14代今泉今右衛門を襲名。
          13代が創案・創造した「吹墨」、「薄墨」、「吹重ね」といった斬新な技法も継承、
          父の作品よりもデザイン的にさらに斬新さが増した現代陶芸を展開。
         色鍋島今右衛門技術保存会会長に就任。
         財団法人今右衛門古陶磁美術館理事長に就任。
         一水会陶芸部展で会員優賞を受賞。
2004(平成16)年、日本伝統工芸展で東京都知事賞を受賞。
2008(平成20)年、MOA岡田茂吉賞優秀賞を受賞。
2009(平成21)年、紫綬褒章を受章。
2010(平成22)年、日本工芸会理事に就任しました。
2014(平成26)年、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
江戸時代から伝わる白抜き技法「墨はじき」に新風を吹き込んで、
絶妙な白の世界「雪花墨はじき」、墨はじきを重ねていく「層々墨はじき」等を創出し、
プラチナ彩を加える等して現代色鍋島の追及に旺盛な制作活動を展開している。

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