尾形乾山の主な出来事や作品の年表と 買取

1663年 京都の裕福な呉服商「雁金屋」の三男として生まれます。
    6歳上には兄の光琳は、 風神雷神図屏風で有名な絵師・尾形光琳です。
    乾山は制作した作品ごとに深省、霊海、京兆逸民、陶隠などさまざまなペンネームを使いましたが、
    一般的には陶工としての名乗る際に用いた乾山の名で知られています。

1687年 父の宗謙が逝去する
    乾山が24歳のときに父が他界し莫大な財産を光琳と分けて相続します。
    光琳とは対照的な性格の乾山は書物や学問を愛し、質素な生活を過ごしました。

1689年 仁和寺の南に習静堂を構え、参禅や学問に励む

1699年 37歳の乾山は京都鳴滝泉谷に開窯する
    乾山の名もこのときに号され、(乾)は都の北西を意味し、
    都から北西の位置に当たることから命名されました。

1712年 50歳の乾山は、京都市内の二条丁子屋町に移住する。
    この頃多くの作品を手がけ「乾山焼」として世間では一躍有名になりました。
    鳴滝時代の末期からこの丁子屋町時代にかけて兄の光琳は絵付で乾山を助け、
    兄弟合作の作品が数多く残され、愛用させています。

1731年 享保16年江戸入谷に移住する。
    69歳の頃に江戸に下り寛永寺領入谷に窯を築いて晩年を送りました。
    そして81歳で没するまで江戸に在住し陶器や絵画の制作に手腕を発揮しました。

1743年 81歳で逝去する
    宗達、光琳、抱一など、華麗で絢爛(けんらん)豪華な琳派の中でひときわ異彩を放つのが、陶芸の琳派・尾形乾山。
            その器は、思わず手に取りたくなる「楽しさ」「カワイさ」「新しさ」にあふれている。
            それこそが、乾山がはじめて陶芸の世界に持ち込んだものだった。

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