前田竹房斎の詳しい説明と 買取

大阪の竹工芸家の名称で、親子に渡って受け継がれたが、2代が亡くなってから途絶えている。
前田竹房斎が残した竹工芸品は、竹材の美しさをいかした独自の意匠表現に高い評価を得ており、人気の高い竹工芸作家として知られている。

初代前田竹房斎(1872~1950)
大阪の生まれで、本名は房二郎。
14~15歳の頃に竹工を独学し、早くも17~18歳頃には一家を成した。
1919年(大正8年)浪華藍友会結成に参加。
大正期後半には皇室などへの献上品を次々に制作し、1936年(昭和11)にはイギリス皇太子来遊の際に台覧を仰ぐなど、名工として知られた。
淡(破)竹を用いた作品で高い評価を得た。
竹の地下茎の曲がりなど、自然の竹の形を生かした「堺手」の名工、高級花籃の名手として知られている。

2代前田竹房斎(1917~2003)
大阪出身で、本名は房次、初代の四男。
父親に師事したが、修行途中で戦争により兵役に就く事になった。
その後、独学で竹工芸を極め、襲名後は天皇陛下・皇后陛下への献上品制作の栄誉を得るなどの活躍を見せた。
戦後は、デモクラシーの空気に呼応するように、壁画装飾やオブジェといった、従来の工芸の枠にこだわらない前衛的な作品を制作し、日展等の団体展に出品する。
日本伝統工芸展などの数々の公募展でもあらゆる賞を獲得した。
細い丸ひごを並列して、透かしと内の重ね編みとを効果的に併用した繊細な制作や、独創の重ね網代編みの花籃など、清新で力強い、高雅な格調を築き上げた。
現代生活に即した創作性の獲得に専念し、現代感覚ある意匠を得意とした。
染色など他の工芸分野も探究し、精密かつ高度な技術で、理知的で気品に満ちた作風を確立した。
また花籃や盛器、茶箱等の煎茶道具にも自由で気品のある創作精神を示した。
父親譲りの竹工芸の技に竹の特性を高度にいかし、現代生活にあった創作性の高い作品を展開し、花籃や盛器、茶箱などの名作を残している。
後進の指導にもあたり数多くの竹工芸家を育てた事も評価され、重要無形文化財「竹工芸」の保持者の認定を受けた。
代表作品として、小判文花籃、網干編高壺花籃、網干編花籃などがある。

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