徳川家康の詳しい説明と 買取
1543年(天文11)に、三河国(現・愛知県東部)の松平氏の一族・安祥松平家の第6代当主・松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれる。
幼名は竹千代で、通称は次郎三郎、大御所(将軍引退後)。
このとき父の広忠は17歳、その妻・於大の方は15歳というまだ若い夫婦。
彼の先祖にあたる松平一族は、松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康となる。
幼少期から青年期にかけ、人質として織田家、6歳の時に今川家へ送られた。
1560年(永禄3)、桶狭間の戦いには今川軍として従軍したが、義元討死の報を聞き、今川家からの独立を決意。
三河一向一揆で家臣の大半に背かれるが、一揆を鎮圧し家臣団の団結を図った。
1562年(永禄5)に信長と清州同盟を結び、「徳川家康」と名のる。
1582年(天正10)6月本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げた。
織田家との同盟関係を維持しつつ、一方で空白地帯と化した甲斐全域と信濃の大半を占拠し、戦国最強と言われる武田旧臣を多く召抱えて戦力の増強を進める。
信長の死後、豊臣秀吉のもとで小田原の北条氏を破り、1590年(天正18)、小田原の役では先鋒として従軍。
領地を東海地方から関東へ移され、江戸城へ入る。
豊臣政権下では、豊臣一族を除けば最高位の内大臣に任じられ、秀吉に次ぐ実力者としての地位をたしかなものとした。
朝鮮の役には朝鮮に渡ることもなく力を温存、1598年(慶長3)、病床に伏す秀吉に前田利家、上杉景勝らとともに豊臣秀頼の後見人として頼まれ、五大老筆頭として大坂城西の丸に入り政治を任された。
秀吉の死後、禁じられていた他大名との縁組を積極的に行うなど石田三成と対立。
1600年(慶長5)、関ヶ原の戦いで東軍を率い、勝利した。
1603年(慶長8)、朝廷から征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開き、以後、265年間江戸幕府は続いた。
応仁の乱以降100年以上続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下を更に磐石のものとし、江戸幕府を開府し、その礎を築いた。
日光東照宮・久能山東照宮などで「東照大権現」として祀られている。
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