販売商品 product

品番:X-2060

価格:売却済

花瓶

この 金工作品花瓶 は古くからある形です。
昔の作品で、材質の銅の味わいある逸品で、中央に彫金細工が施されております。
時代的には江戸時代から明治時代頃の作品ですが、もっと昔の味わいがある花瓶です。
このような昔の 職人技伝承 されてきて、象嵌細工 や彫金細工が施された金工作品は、アジアのお客様に 中国美術 として人気があります。
共箱 はありませんが、昔に作られた時代を経てきた合わせ箱が付いており、作品の趣を際立たせております。

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

坂高麗左衛門の茶碗の茶道具出張買取を頂きお譲り頂きました。

写真5枚あります。くわしくはこちら この作品は坂 高麗左衛門の作品です。力作とまではいきませんが、山口県萩市の萩焼窯元、坂窯の当主が代々 襲名 している、陶芸作家として坂 高麗左衛門です。割れたり欠けたりしている処も無く、共箱で 保存状態 の良い茶碗で買取しました。初代より坂高麗左衛門と名乗り、2004年当時の坂窯当主、十二代高麗左衛門まで 窯 が継承されました。最近ではこのような 茶道具 は、買取価格は10万円以下になるでしょう。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、現状のまま販売しております。業界でうぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの面白い作品です。 坂高麗左衛門とは 坂窯は、毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄李勺光と共に 萩焼 を創始した朝鮮人陶工の李敬を初代としており、三輪休雪の三輪窯と共に萩藩の御用窯を務め、萩焼の本流を代々受け継いでいた家柄であった。毛利氏が萩に城を移した後、萩城下松本村に開窯、二代藩主毛利綱広より“高麗左衛門”の名を賜る。以来、初代より坂高麗左衛門と名乗り、2004年当時の坂窯当主、十二代高麗左衛門まで窯が継承された。しかし、十二代の坂高麗左衛門が2004年7月26日に会合の後、酩酊状態で自宅に戻ったあと、自宅からの転落事故による脳挫傷のため突然死去し、以後約7年坂高麗左衛門の名跡は空位だったが、2011年4月に十一代の四女(十二代の義妹)が十三代高麗左衛門を 襲名 することになりました。