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品番:X-2405

価格:売却済

掛軸

本紙は 紙本 です。
明治時代の 古い時代 の作品ですが、昔のままの表具で、 も珍しく、面白い掛物です。
ご覧のように、長年の時代を経てきた味わいのある作品ですが、保存状態 の良い掛軸で、目立ったシミも無く、本紙は紙本で、軸先は木製で出来ております。
東郷平八郎の作品で、彼は日清戦争では浪速艦長として活躍。
その後、海軍大学校長、常備艦隊司令長官、舞鶴鎮守府司令長官等を歴任して、日露戦争前の36年に連合艦隊司令長官に就任しました。
日露戦争ではみずから主要作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた。
元帥ですが、彼がかかれた作品で、当時の天皇が読まれた歌を書かれた掛け軸です。

面白い 図柄 で、状態の良い昔の 掛軸 や茶席の書画、高僧 の書画は買取させて頂きます。

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

面白い九谷焼の品物の買取依頼を頂き、骨董品宅配買取で三点の古陶器の九谷焼をお譲り頂きました。

写真が15枚あります。くわしくはこちら 横幅約 20cm 高さ約 8cm の菓子鉢で初代 須田菁華(1862年~1927年)の作品です。採光の加減で白く光っておりますが、傷、欠け等無く、保存状態 の良い、綺麗な品物で買取ました。業界でうぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの面白い作品です。時代を経てきた割には、保存状態 の良い 逸品 で、最近ではなかなか見られない、作りの良い作品です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より買取した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、このような 骨董品 や 茶道具 は現状のまま販売しております。 現在「古九谷」と呼ばれている九谷焼は、伊万里で焼かれ焼き物と言われています。其の後、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。九谷焼 は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。廃窯後100年は、日本の 陶器 といえば 伊万里焼 でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。さらに、その若杉焼が成功したことで、大聖寺 藩でも九谷焼再興が始まり、通称大聖寺の九谷焼が始りました。明治時代に入って九谷庄三の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。現在でも彩色 金襴手 や九谷焼独自の焼き物は外国のお客様に人気です。