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価格:売却済

馬上杯 販売

直径約 5.3cm   高さ約 8.5cm 高台約 4.3cm

明治時代頃の 陶磁器 で幹山伝七の作品で 赤絵 の馬上杯です。
すべて手描きで、幹山らしい独特の金彩が 細密 に描かれており、非常に美しい 逸品 です。
採光の加減で白く光っておりますが、傷、欠け等無く、綺麗な品物です。

幹山伝七は、尾張瀬戸生まれで加藤孝兵衛の三男。
初め彦根藩に招かれ湖東焼きで作陶を行うが廃窯になり、文久2年京都東山に移り磁器製造を始める。
明治に入り幹山伝七と名乗り、官内省御用品を調製する。
明治5年の京都 博覧会 の際には、明治天皇より御買い上げの栄を賜わり、海外の万国博覧会で数々の賞を受ける。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

中国美術の墨の骨董品宅配買取依頼を頂き、骨董品の貴重な墨をお譲り頂きました。

写真5枚あります。くわしくはこちら このような 中国美術 の固形墨の場合は「墨は成長する」という言葉があり、特に20年から50年経ったものは「古墨」と呼ばれ 骨董品 の中国美術の墨で珍重されるるようで買取ました。この骨董品の墨もそうです。またこの墨のような固形墨の製法は墨の原料である膠は動物性たんぱく質で腐敗しやすいため、伝統 的な骨董品の中国美術の墨は暑い時期には製造できません。ご覧のように 保存状態 も良く、大切に使われてきた古墨です。このような墨ですが、中国美術の骨董品の古墨は特別高価に買取いたします。 中国の近年の墨と硯について少し説明いたします。 墨丸と硯では明時代(A.D.1368-1644)文化において豪華絢爛さを示し、製墨業も隆盛を極めた時代です。この時代の骨董品の墨は製法はもとより用途、さらに鑑賞墨にも幅広い展開を見せるようになり、古墨といえば明墨というように代表的な意匠を確立するようになりました。清時代の乾隆帝の文化政策から製墨業は一段と盛んになり、「乾隆御墨」として骨董品の墨は現在に伝わっております。