販売商品 product

品番:X-1867

価格:売却済

九谷焼 赤絵 小皿

この九谷焼は赤絵と言われる、海外のお客様に人気の逸品で、明治時代から昭和初期の作品です。
このような赤絵の九谷焼のお皿や器は、図柄 が面白く、特に外国の人々に人気があります。
割れたり欠けたりはしていなくて、保存状態 の良い 逸品 です。
この九谷焼は再興九谷の九谷焼で、再興九谷とは、春日山窯の木米風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵 細描画の宮本屋窯、金襴手の永楽窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
明治時代に入ってからは、大量の九谷焼が海外へ輸出されており、現在でも各時代の  の 上絵付 けの 作風 を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。

この作品の九谷焼の元は、日本で一番高値だと言われている古九谷から始まり、古九谷の説明を少しさせて頂きます。
九谷焼は、明暦元年(1655年)頃に、百万石の財力と当代一流の文化人の交流の場として栄えていた加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、九谷村山中で開窯したのが始まりと一般的には思われてきました。
しかし、数十年で突如として廃窯となり、姿を消しており、その理由は定かではありませんが、この江戸時代前期の一定期間につくられたやきものが「古九谷」と呼ばれています。古九谷は色絵磁器で、不透明な鈍い白色素地に、花鳥、山水、風物など絵画的、写実的絵柄が多くみられます。
また、上絵付けは大胆な 構図 で、紫・緑・黄を主とした濃い彩釉を用い、独自の深みと重厚感ある筆致が特徴となっています。
美術専門家による古九谷様式の 色絵 磁器の分類は、大きく三つに分けられており、祥瑞手(中国・明末期の頃に景徳鎮で製作された 染付 磁器と共通する意匠)、五彩手(窓絵の構図法を基本とし、窓の中に 山水画人物画、花鳥図などを黒の輪郭線で描き、濃い緑、紫、黄などの寒色系の色で着彩されています。)、青手(素地を、緑と黄で大胆に塗りつぶした逸品で、その技法は古九谷を代表する様式です。)この三種類に選別されます。
最近では伊万里焼だと多くの意見が出ております。

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

金工作品の刀装具の骨董品出張買取依頼で、素晴らしい骨董品の金工作品で目貫をお譲り頂きました。

写真20枚あります。くわしくはこちら この骨董品の刀装具の材質は、色合いや大きさ、また重さから見て金のように思われます。一括で直接買い受けた骨董品の 刀装具 で、当店は貴金属店ではなく調べる方法がわからないので、現状のまま販売しております。小さな 骨董品 の 金工作品 ですが、重量感 があり、鶉に草花の彫金細工や象嵌細工が丁寧に施され、日本の 職人技 が素晴らしい骨董品の刀装具で買取ました。銘 も綺麗に入っており、この金工作品も 伝承 された江戸時代の素晴らしい 名品 ですが、うぶ荷と呼ばれる一括で直接買取した骨董品の刀装具で、現状のまま販売しております。銘は「一匠」と入っており、中川一匠で、中川家は代々彫金工として津山藩松平家に仕えた金工作品の名家。嘉永2年21歳で京都に行き、後藤一乗の門人となる。安政4年29歳で一勝から一匠に変わる。後藤一乗門人中川一匠の 花押 もある。優工。明治9年48歳で没。 目貫は刀装具の中でも「三所物」として、人気のある大切な部品です。目貫 は柄と刀身を固定するための鋲頭として目釘の上に付けられていました。その後日本刀の柄を装飾する金物のひとつとして重宝な骨董品の金工作品と認められ、装飾品へと変わっていきました。柄の表裏にあり、動物や植物の桜、また鶴と亀などの縁起物や家紋を施された作品もありました。表と裏があり、一対で物語を表現したり、故事になぞらえたり、武士も粋なお洒落を楽しんでおりました。