買取実績 buy

骨董品売却依頼で太田垣連月の水墨画の掛け軸を、太田垣連月と同じ地元の古美術やかたを選んで頂き、神奈川県足柄下郡のお客様より掛軸をお譲り頂きました。

売却例の説明
写真が6枚あります。くわしくはこちら

何代も続いた神奈川県の箱根神社の隣に住んでおられるお客様ですが、昔からある 古道具諸道具 の整理をされていましたが、どの品物が骨董品 なのか 茶道具 なのか、高価な品物か安価な品物かも分からず、専門の骨董店ならと思われ、インターネットで当店のホームページをご覧になり、作家と同じ地元の古美術やかたを選んで頂きメールを頂きました。沢山の写真をラインでお送り頂き、練習用の 逸品 が多かったので、買取価格も安価な品物が殆どでしたが、ゆっくり説明して納得して頂き、掛軸が多かったのですが、諸道具を買取させて頂きました。

この作品は大田垣蓮月の作品ですが、上に描かれた詩もなよなよと大田垣蓮月を模したように描かれており、本物ではなく 贋物 と思われます。大田垣蓮月は非常に人気のある歌人ですが、掛軸や 陶芸 作品には多くの贋物があります。書かれている 花押 落款 の蓮月の文字ももっと丸みのある穏やかな書体で、本物とは大きな違いがあります。この水墨画も、紙本に簡単に 風景画 が描かれておりますが、書き込み も悪く、優雅さも無く、南画水墨画 の良さが見られない逸品です。

大田垣蓮月とは、江戸末期から明治初期の歌人で、寛政時代に京都に生まれています。実父は伊賀上野の城代家老で、養父は知恩院の坊官大田垣伴左衛門光古です。幼少の頃丹波の亀岡城主松平家に奉公して、のち光古の養子望古と結婚したが、のち離別しました。1819年光古の養子古肥と再婚しましたが、蓮月33歳のとき、古肥が病死したので剃髪されました。蓮月は若年から歌道に親しみ、自詠の歌を彫った 陶器 も多く作っています。歌風は平明温雅で幕末京都女流歌人の代表者でもあり、富岡鉄斎も 若年 のときに彼女の庵居に遊び、富岡鉄斎と連月合作の作品も多く残されています。明治時代の明治8年に85歳で亡くなりました。

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