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茶会

茶会( ちゃかい )

喫茶を中心とした会合で茶事,茶湯興行,古くは「ちゃのえ」とも呼んだ。その初めは寺院での引茶 (ひきちゃ。挽茶,施茶とも書く) で、仏前に供えた茶の余りを衆僧に施す儀式であり、鎌倉時代には抹茶を用いた大茶盛があった。世俗の茶会は室町時代の闘茶会で茶寄合もそれであった。茶道成立後は客を招き一定の式作法により茶を出すことをいい、記録 (茶会記) には亭主の名を記して何某の会としている。茶会の形式と内容は次第に複雑になり、時間上から、正午、夜咄 (よばなし)、暁、朝、飯後 (はんご)、不時、跡見、独客の茶会の8種がある。また季節上から大福 (おおぶく。王服,大服とも書く。元日の祝儀の茶で梅干,昆布などを加えて多量にたてる) 、春 (1月 15日以後の茶会) 、風炉、名残 (なごり。残茶ともいう。口切後約1年の 10月中頃~11月初め頃に催す)、口切 (炉開きの頃茶壺の封を切り、その茶をひいて催す) の茶会の別がある。

客を招いて、作法にのっとって茶をたて、もてなす会。茶の湯の会。さかい。

飲茶(いんちゃ)を中心とした会の総称。茶会という場合、現在二つのとらえ方がある。一つは、千利休(せんのりきゅう)による茶道成立後、前席で懐石(かいせき)、中立(なかだち)があり後席で濃茶(こいちゃ)と薄茶(うすちゃ)を喫するという、茶事の名で通称される茶会、一つは、薄茶や濃茶の席に点心(てんしん)がついた現代風の茶会である。茶会の語は唐代の詩人銭起(せんき)の詩句にみえ、文人の間でたしなまれた喫茶の会のことであった。日本では宋(そう)代禅院での茶礼が規準となった禅院茶礼が鎌倉時代におこり、南北朝の玄恵(げんえ)法印作とされる『喫茶往来』にその源流がみられた。その後「茶寄合(ちゃよりあい)」としての闘茶(とうちゃ)会が流行し、会所の時代を経て書院風建築の中での式法の整った会が生まれ、村田珠光(じゅこう)による草庵(そうあん)茶が創案されて庶民への浸透が図られた。一期一会(いちごいちえ)を観念とした一味同心、一座建立の精神が掲揚され、奈良の塗師(ぬし)松屋による『松屋会記』、堺(さかい)の豪商津田宗達(そうたつ)・宗及(そうきゅう)による『天王寺屋(てんのうじや)会記』などの茶会記録が残されるようになった。

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