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窯印

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窯印 ( かまじるし )

共同の窯を使用する場合、作者・注文主などを区別するために用いた独自の印のことです。

昔は 職人たちは、裕福ではなく、大きな窯を一人で持つことが出来ず、皆で協力して一つの窯を持つことが出来ました。
作品の置く場所もその時々で変わり、どの品物が自分の品物か判らなくなるので、このような形をとるようになりました。
備前の窯印は特に多く見られ、印はイ・丸・十など簡単なものが多く、陶磁器や窯の道具の底・肩・胴などに目印を付けました。
現在ではほとんどの陶芸家が個々に窯を持っておりますが、昔は登り窯のような大きな窯で一度に品物が焼かれており、共同で焼いていた為、個々の作品に間違いがないように、それぞれの品物に印を付けて焼きました。

一般の説明とは違い骨董品業界の場合は、特殊な言い方や表現があり戸惑われる方もおられますが、昔からの習慣や慣例に基づき続いている古い業界なので、大きく物事をとらえて頂き骨董品や茶道具を連想して考えて頂ければ、と思います。

古美術やかたの店内写真

メディアにも多数ご紹介いただいております

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

買取商品一覧

  • 金工作品
  • 根付
  • 竹籠
  • 煎茶道具
  • 刀装具
  • 印籠
  • 中国美術
  • 李朝
  • 鍔・小柄
  • 兜
  • 日本画
  • 古陶器
  • 甲冑
  • 銀製品
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  • 伊万里
  • 鉄瓶
  • 櫛・帯留
  • 浮世絵・版画
  • 骨董品の翡翠
  • 銀瓶
  • 仏画
  • 洋画
  • 骨董品の珊瑚

販売商品 PRODUCT

お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示してお店やホームページで販売、掲載しております。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

売却依頼を頂き中国美術の菓子鉢や煎茶道具、抹茶道具の諸道具を茶道具出張買取でお譲り頂きました。

写真が4枚あります。くわしくはこちら 辰砂の鉢でシンプルな鉢ですが、色合いが綺麗な鉢です。時代は日本で言えば、江戸時代の 陶磁器 で、中国の時代では、明時代の末頃の作品です。このような 中国美術 の作品は、アジアのお客様に人気があり、高価買取させて頂きます。採光の加減で白く光った個所がありますが、上り も良く傷等無く 保存状態 の良い 逸品 です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの買取作品で、現状のまま販売しております。 この菓子鉢は煎茶道具や抹茶道具で使われているので、全体の 茶道具 についての説明を少しします。最初は奈良や平安時代に、遣唐使や留学僧によって伝えられ、貴重な飲料でした。その後鎌倉時代頃には、茶の専門書「喫茶養生記」を著し良薬として茶を紹介し、京都栂尾の高山寺に茶を植え広めました。さらに伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培され、南北朝時代になると「闘茶」が行われました。安土桃山時代になると、千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し、豪商 や武士たちに浸透していきました。江戸時代では一般庶民にもお茶が浸透して、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。宇治田原郷で、優良な煎茶の製法を編み出し、「宇治製法」と呼ばれ、1835年、山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されたといいます。明治時代は、アメリカを中心に重要な輸出品として茶が輸出されました。明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は衰退していきました。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地