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黄士陵

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こう しりょう
1849年 ~ 1908年、中国清朝末期の篆刻家 で書家である。
字を牧甫、穆父、穆甫、号は黟山人、倦叟。安徽黟県黄村 の人。
幼い頃から父に学問や篆刻、詩文を学んでいましたが、太平天国の乱の最中に両親を失い、一時は江西省に移り住む。
やがて33歳の時には広東省で書画、篆刻の作品制作を行って活躍し、その才能を認められ、
1885年には推薦の下、北京の国子監で学ぶ機会を得ている。
この時には金石学者や画家として名を馳せた呉大澂や王懿栄と交流して大きな影響を受けたほか、石鼓文の模刻にも打ち込んだ。
その後、1887年からは呉大澂と政治家の張之洞が創立した広雅書局に招かれ、そこで14年の間書画や篆刻に打ち込んでいます。
やがて55歳の頃には帰郷したと言われている。
金石文に詳しかった黄士陵は、中国古代の青銅器に刻まれた文字や六朝時代の石仏に彫られた文字を加え、
独特の書法を用いた篆書、楷書などを確立した。
また、絵においては西洋画の画法を交えて描いた作品が有名で、緻密に描かれた古代の青銅器や、花卉画などが残されている。

古美術やかたの店内写真

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TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

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是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

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  • 銀瓶
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販売商品 PRODUCT

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

数点の伊万里焼の骨董品持ち込み買取を頂き、お譲り頂きました。

写真5枚あります。くわしくはこちら アンティークや 古道具 の部類の 花瓶 ですが、面白い 図柄 が綺麗に丁寧に描かれており買取しました。色絵 の可愛らしい図柄が手描きで描かれており、非常に上がりの良い 置物 で買取しました。この作品は香蘭社の作品で、分類すると伊万里焼です。香蘭社も美術 陶芸 作品を販売しておりますが、戦争中の不景気な時には碍子を作り、不況を乗り越えて現在があるようです。割れや欠けも無く、保存状態 の良い、綺麗な骨董品で大きさも丁度使いやすいサイズです。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように状態の良い品物です。 伊万里焼 について、 佐賀県有田町では、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、多くの藩が陶工を日本へと連れ帰りました。1616年に、その中の一人、韓国の陶工・李参平(りさんぺい)が有田東部の泉山で 白磁 鉱を発見して、伊万里焼を焼いたのが始まりです。伊万里焼は、日本の 陶磁器 の元祖で、製造方法も丁寧に原材料の土をふるいにかけ、良い土だけ使われておりましたが、その後各地で伊万里焼の真似をした 下手 の作品が多くでまわり作られ、簡単な製造方法で、大量生産の為、土も悪く雑な作品でした。また、伊万里市南部では、藩窯である鍋島焼も生産され鑑賞陶磁として現在でも高価に取引されております。  

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地