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価格:売却済

竹影堂栄真 銀急須 販売

注ぎ口を含む横幅約 10.2cm 縦幅約 9.2cm
摘みを含む高さ約 6.5cm 重さ約 211g

材質は純銀です。
煎茶道具の竹影堂栄真の急須で、大正時代頃のものです。
端正に整った形で、しっかりとした作りで 重量感 の ある 逸品 です。
シンプルな小品ですが、さすが竹影堂栄真と思わせる丁寧な昔の 職人技 がうかがえる急須です。
また、上品な 打ち出し 模様の細工が作品全体に施されており、全体には落ち着いた薄い紫の色付けが施されております。
作品の底部には、写真16のように作者の 刻印 があります。
共箱 で、共布が付いております。

競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。
直接お客様より入荷した、業界ではうぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、さすが、最近では滅多に見られない貴重な逸品です。

竹影堂栄真
寛政年代から200年以上続く、京都の錺(かざり)職の家柄、錺匠。
初代が 刀装具小柄 などの小道具を手がけ、以降、錺金具や各種道具など 美術工芸品 製作を家業とするようになる。
その精緻な技術が高く評価され、4代竹次郎のとき、有栖川宮より「竹影堂 榮眞」の を下賜され、以後代々が 襲名 を続けており、当代は7代目にあたる。
鍛金彫金細工 などの 伝統 的な 技法 を主に用いて、金、銀、銅、赤銅 などで 茶道具香道具、仏具から襖の引き手掛軸 の軸先に至るまで多様なものを制作する。

初代 金吾 天保15年(1844年)68歳没。
西屋敷に奉仕し、錺に趣味をもち、好んで目貫刃剣の小道具を自作した。
二代 伊兵衛 文久元年(1861年)56歳没。
三代 伊兵衛 明治12年(1879年)36歳没。
四代 竹次郎 大正4年(1915年)66歳没。
「竹影堂榮真」の号を賜りもって、京都金工界に大いなる業績をのこした。
五代 賢次 昭和45年(1970年)75歳没。
六代 精一郎 平成19年(1915年)84歳没。
七代 佳永
昭和33年(1958年)三世 竹影堂榮真の三男として生まれ、平成21年(2009年)4世竹影堂榮眞を襲名する。
昭和49年(1974年)同志社大学文学部卒業。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

純銀製品や諸道具の骨董品宅配買取依頼を頂き、数点お譲り頂きました。

写真17枚あります。くわしくはこちら 一対あり、二つとも同じです。この作品は明治時代から大正時代頃に作られた作品で買取させて頂きました。純銀の作品で、一見、盃のように見えますが盃洗で、お茶碗ぐらいの大きさで、最後に大人の女性の手に乗せた写真を掲載しております。外側の表面には細かく手打ち模様の彫金細工が施され、日本の 伝承 された 金工作品 の素晴らしさがうかがえる 逸品 で買取ました。純銀製で分厚くしっかり作られた作品で、ご覧のように、高台 部分には透かし模様が施され、さすが昔の 職人技 と思わせる上品な盃洗です。重量感 もあり、現在ではなかなか見られない昔の職人技が素晴らしい逸品です。作者は大西成古で、共箱に入っております。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように 保存状態 の良い 骨董品 です。 金工について説明します。 金工とは金属に細工をする工芸、あるいはその職人のことを指し、金属を加工して作られる 工芸品 のことを 金工品 といいます。中国大陸・朝鮮半島から伝わった金工技術によって剣や 銅鐸、装身具などが作られ、材料として青銅や鉄が使われていました。古墳時代には馬具や 甲冑 を製作するようになり、青銅器の剣や鏡などへの装飾も見られました。日本ではその後武具甲冑に独自の発展を遂げ 日本独自 の 金工作品 の発展を築き長い歴史をへて、このような作品が出来上がりました。