販売商品 product

品番:D-65

価格:¥1,800,000-

純銀 吊り花入 中川浄益 販売

花入本体 横幅最大約 36.5cm 縦幅最大約 12cm  高さ最大約 15cm 重さ約 1168g
吊り下げ部分 横幅最大約 21cm 高さ最大約 37cm 重さ約 319g
花留 直径約 4.7cm 高さ最大約 3.4cm 重さ約 278g
鎖 長さ約 167cm 重さ約 425g

材質は純銀です。
千家十職 金工作家の中川浄益の 吊り花入 です。

舟形のデザインが上品で優雅な作品です。
手打ちで、繊細打ち出し 模様が本体外側に施されております。
写真18のように唐草模様の彫金細工が丁寧に施されております。
吊り下げ金具も打ち出し模様や唐草模様の 彫金細工 が施されており、非常に豪華な吊り花入です。
写真26の花留も舟形に合わせて変形して作られており、さすが金工師の名工、中川浄益の作品です。
写真22をご覧のように本体に中川浄益と が入っており、共箱 で、表千家家元即中斎宗左の 書付 が付いております。

昔の品物で、銀の変色が見られます。
簡単に綺麗になりますが、昔のまま、販売しております。
採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように 保存状態 の良い品物です。

初代 中川紹益(1559〜1622)
紹高、越後出身。1500年代後半に京都に移る。
元は先祖と同じく鎧や 甲冑 などの武具を製作するが、千利休の依頼・指導により薬鑵(やかん)を作ったのを契機に、現在の家業である 茶道具 作りを始めたとされる。代表作は得意の槌物(うちもの)の技を生かして作られた「利休薬鑵」。

から続き、

十代 中川浄益(1880〜1940)
淳三郎、紹心。九代の息子。早くから大阪の道具商のもとに修行に出される。
父の死により 家督 を相続。第一次世界大戦勃発による軍需景気にのり負債を完済、中川家再建の基盤を作る。浄瑠璃、俳句、画、能楽を好む。

十一代 中川浄益(1920〜2008)
紹真。昭和15年、20歳の時に十一代中川浄益を 襲名 する。
戦時体制下で金属材料は優先的に軍需用に振り向けられ、茶道具 生産の為の材料はほとんど手に入らず大変苦労する。戦後は、謙虚な姿勢で制作を続行し、花入 れ、水指し から、茶席の釘類や襖の引手まで数多く手がける。
2008年に87歳で死去。

現在、当主は空席となっている。

(T-20)

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

久しぶりに骨董品宅配買取で鎧兜をお譲り頂きました。

写真が3枚あります。くわしくはこちら この作品は明治時代の 甲冑 で、当世具足と言われる鎧の一様式で、鎧櫃に入っており買取させて頂きました。兜は鉄製で 鉄味 も良く、細部まで非常に丁寧に作られており、筋の部分には銅の覆輪が施されております。最近ではこのような昔の 職人技 が素晴らしい 逸品 はなかなか無く、貴重な 逸品 で買取しました。漆塗が施された三つ巴の前立の装飾も美しく、昔の 職人技 が素晴らしい兜です。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように 保存状態 の良い 鎧兜 です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた 骨董品 ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、現状のまま販売しております。 鎧兜の説明を少ししますと、甲冑(鎧兜)とは、甲(鎧:よろい)及び冑(兜:かぶと)のことで、胴体部分を守る鎧と、頭部を守る兜からなる防具です。江戸時代に入り、天下泰平の世の中になると、甲冑(鎧兜)は、武士の威風を示すための道具になります。実戦での使用がなくなったことで、甲冑(鎧兜)には様々な装飾が施されるように。そして、幕末から明治維新の時期においては、武器の進化に追いついていくことができなかった日本式甲冑は、防具としての役割を終えました。