中川浄益 買取

中川浄益は、独自の金属工芸技法を五百年余にわたって、代々伝えられた日本を代表する金工作家です。
錫や銀製の煎茶道具から茶道具、また古美術工芸品から骨董品まで、多種にわたり作品が残されています。
中川浄益の作品は、数々の海外の万国博覧会に出品し、海外では絶大なる人気で、高価買取させて頂きます。
古美術やかたでは、茶道家や外国のお客様にご来店頂いており、入荷待ちのお客様もおられます。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

●中川浄益の作品を高価買取出来る理由

★あなたも驚く骨董業界の真実★

「百聞は一見にしかず」 金工作品買取依頼で失敗したくない方、是非ご覧下さい。
 

★お譲り頂いた品物を直接販売しており、入荷をお待ちのお客様もたくさんおられます。

 

中川浄益の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

中川浄益(なかがわ じょうえき)

中川浄益買取

吸江好夕顔銚子

千家十職 の一員で、金物師の中川家当主が代々 襲名 する。
元々は 甲冑を作っていたが、茶道具 を初めて手掛けた初代・中川與十郎が紹益を名乗った。
二代目浄益以降の当主は浄益という名を継いでいる。この頃の作品は鉄を鍛造して制作する槌物(うちもの)と鋳造による 鋳物(いもの)が主である。
三代は、技術的に困難であった赤銅・錫・鉛の 合金である 砂張 の製法を発見し、製造に成功した。歴代の中でも 鋳物 の名人として知られている。
その後中川家は、金工の精巧な茶道具を得意とし、優れた 金工品 の技術を 伝承 してきた。
それらの 金工作品刀装具 や甲冑より長年伝承された中川浄益独自の 技法 です。
五百年余り続いた中川浄益独自の彫る技法打つ技法、また嵌める技法を元とし、彫金細工象嵌細工 を工夫して、素晴らしい 名品 を数多く残しております。その作品は茶道具が多く、水差し、蓋置銀瓶、花活け、灰匙、香呂、など多種にわたります。
2008年に十一代が死去した後、現在当主は空席となっている。
 

中川浄益の作品  作風と買取価格のワンポイント

中川浄益独自の彫る技法、打つ技法、嵌める技法を元として、細密な彫金細工や象嵌細工が施された名品は高価買取させて頂きます。
茶道家元の書付が付いた逸品もありますが、やはり、お茶会では高く評価され好まれます。

 

 

 

中川浄益の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

中川浄益買取

中川浄益の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には中川浄益の自筆のサインと 落款 が押されています。共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
茶道家元の書付が付いた逸品もありますが、やはり、お茶会では高く評価され好まれます。

汚れや傷みがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定証 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。一般的に 絵画 の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

中川浄益の場合、鑑定機関はありません。

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

中川浄益をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には中川浄益の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
中川浄益の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ、適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

中川浄益の買取実績と買取価格の解説

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買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

中川浄益 略歴

中川浄益買取

利休形エフコ建水 砂張銅

千家十職 の一つ。
金物師の中川家当主が代々 襲名 する。
中川家は、金工の精巧な 茶道具 を得意とし、優れた金工の技術を継承してきた。
その作品は鉄を鍛造して制作する槌物(うちもの)と鋳造による 鋳物(いもの)が主である。
元々は 甲冑を作っていたが、茶道具を初めて手掛けた初代・中川與十郎が紹益を名乗った。
上洛して火箸や環を制作していたところで利休と知り合い、その金工の技が認められて、やかんの制作を依頼された。このやかんが北野大茶会で使用され、以後、「利休やかん」と呼ばれて表千家に伝わり、水次やかんの基本になっている。
二代目浄益のとき、豪商佐野(灰屋)紹益と名前が紛らわしいことから、浄益と名乗るよう 表千家 四代江岑宗左より申しつけがあり、以降の当主はその名を継いでいる。
二代目浄益は千家の出入りの職人となり、茶の湯、連歌など諸道に精通した文人としても知られる。
三代は、技術的に困難であった赤銅・錫・鉛の合金である 砂張 の製法を発見し、製造に成功した。
歴代の中でも鋳物の名人として知られている。
五代浄益は表千家八代啐啄斎に重用される。晩年に天明の大火に遭い、過去帳1冊以外のすべての家伝・家財を消失。
六代浄益は 表千家 八代啐啄斎の機嫌を損ね、一時出入りを禁じられ、その後は 裏千家 のみの御用を務める。了々斎の代になって許される。歴代中随一の茶人であり、「宗清」の茶名を持っていた。
七代浄益は技術に優れ「砂張打物の名人」、「いがみ浄益」といわれ、天明の大火以後様々な事情でふるわなかった中川家の中興の祖といわれる。
八代浄益は、江戸時代末〜明治時代の転換期に先を見通し金工の近代化に努め、京都の 博覧会 の開催に尽力する。また自ら「浄益社」を設立し、海外への日本美術の紹介を行うなどするが、様々な事情により失脚、失意の中48歳で死去。
九代浄益は、茶道衰退期に 家督 を相続する。父方の縁により三井家などから援助を受けるが、家業の建て直しが上手くいかず、逆境の中アルコール依存症となる。
職人としては一流であったが、伝統工芸品 に理解のない時代だった為、世間からは認められず、不遇のまま死去。
十代浄益は早くから大阪の道具商のもとに修行に出され、父の死により家督を相続する。第一次世界大戦勃発による軍需景気にのり負債を完済し、中川家再建の基盤を作る。
十一代浄益は昭和15年、20歳の時に 襲名 する。戦時体制下で金属材料は優先的に軍需用に振り向けられ、茶道具 生産の為の材料はほとんど手に入らず大変苦労する。戦後は、謙虚な姿勢で制作を続行し、花入 れ、水指し から、茶席の釘類や襖の引手まで数多く手がける。2008年に87歳で死去した後、現在当主は空席となっている。

中川浄益の主な出来事や作品の年表

初代 中川紹益(1559〜1622)
紹高、越後出身。1500年代後半に京都に移る。
元は先祖と同じく甲冑 などの武具を製作するが、千利休の依頼・指導により薬鑵(やかん)を作ったのを契機に、現在の家業である 茶道具 作りを始めたとされる。代表作は得意の槌物(うちもの)の技を生かして作られた「利休薬鑵」。

二代 中川浄益(1593〜1670)
重高、寛永年間に千家出入の職方となる。
表千家 四代江岑宗左より、豪商佐野(灰屋)紹益と名前が紛らわしいことから浄益に改めるよう申しつけがあり、以降、代々「浄益」を名乗る。妻は金森宗和の娘。

三代 中川浄益(1646〜1718)
重房、長十郎のち太兵衛。江戸時代に活躍する。技術的に困難であった 砂張赤銅、錫、鉛の合金)の製法を発見して多くの 名品 を残しており、歴代の中でも 鋳物 の名人として知られる。

四代 中川浄益(1658〜1761)
重忠のち友寿、源吉。3人の息子に恵まれ、息子達と共に家業の隆盛に励む。

五代 中川浄益(1724〜1791)
頼重、源吉、吉右衛門。 四代の三男。この代から代々「吉右衛門」を名乗りとする。
表千家八代啐啄斎に重用される。晩年に天明の大火に遭い、過去帳1冊以外のすべての家伝・家財を消失。

六代 中川浄益(1766〜1833)
頼方、五代の息子。表千家 八代啐啄斎の機嫌を損ね、一時表千家の出入りを禁じられ、その後は 裏千家 のみの御用を務める。了々斎の代になって許される。歴代中随一の茶人であり、「宗清」の茶名を持っていた。

七代 中川浄益(1796〜1859)
頼実。「砂張打物の名人」「いがみ浄益」と言われ、天明の大火以後様々な事情でふるわなかった中川家の中興の祖といわれる。妻は飛来一閑三女 九満。

八代 中川浄益(1830〜1877)
幾三郎、七代の婿養子。三井家手代 麻田佐左衛門の息子。妻は七代の娘 戸代。
幕末〜明治の転換期に先を見通し金工の近代化に努め、京都の 博覧会 の開催に尽力。
また「浄益社」を設立、海外への日本美術の紹介を行うなどするが、様々な事情により失脚。失意の中48歳で死去。

九代 中川浄益(1849〜1911)
益之助、紹芳。八代の息子。茶道衰退期に 家督 を相続。
父方の縁により三井家などから援助を受けるが、家業の建て直しが上手くいかず、逆境の中アルコール依存症となる。職人としては一流であったが、伝統工芸品 に理解のない時代だった為、世間からは認められなかった。不遇のまま死去。

十代 中川浄益(1880〜1940)
淳三郎、紹心。九代の息子。早くから大阪の道具商のもとに修行に出される。
父の死により 家督 を相続。第一次世界大戦勃発による軍需景気にのり負債を完済、中川家再建の基盤を作る。浄瑠璃、俳句、画、能楽を好む。

十一代 中川浄益(1920〜2008)
紹真。昭和15年、20歳の時に十一代中川浄益を 襲名 する。
戦時体制下で金属材料は優先的に軍需用に振り向けられ、茶道具 生産の為の材料はほとんど手に入らず大変苦労する。戦後は、謙虚な姿勢で制作を続行し、花入 れ、水指し から、茶席の釘類や襖の引手まで数多く手がける。
2008年に87歳で死去。

現在、当主は空席となっている。

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老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

楽焼の置物や陶磁器の骨董品売却依頼を頂き、出張して諸道具をお譲り頂きました。

写真が8枚あります。くわしくはこちら この花入れは楽焼の 花入 れで、昔の 職人技 が素晴らしい逸品です。江戸時代の 楽焼 で、明治時代から昭和時代にかけて、茶の湯愛好家 のお客様に 愛玩 されてきた 名品 だと思われます。保存状態 も良く、綺麗な 共箱 も付いており、家元の 書付 も有り、茶会 では人気の逸品だと思われ買取させて頂きました。お茶が冷めにくく、茶碗 は人気がありますが、楽焼はヒビ割れやすく扱いが難しいので、初心者は避けたい 茶道具 です。面白い形で、いろいろな場所にも使え、貴重な道具で買取させて頂きました。 楽焼について少し説明します。楽焼 日本の骨董品や茶道具の 伝統 的な 陶器 の一種で樂吉左衛門家における焼物です。 素焼きの陶器に 絵付 けをする、素人の楽しみの為の簡単な焼き物。 楽焼は、轆轤 を使用せず、手とへらだけで成形する「手捏ね」と呼ばれる方法で成形した後、750℃ - 1,200℃で焼成した軟質施釉陶器です。      

 

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