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日本美術学校

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日本美術学校( にほんびじゅつがっこう )

大正7年(1918)4月22日、豊多摩郡戸塚町(現・新宿区西早稲田)に日本美術学校が設立された。日本美術研究所から私立学校の認可を受けて名称を改め、当時としては珍しく男女共学の学校として開校した。創立者は、紀淑雄(1 872~1936)で、『稿本日本帝国美術史略』の執筆者であり、早稲田大学教授、国立博物館監査官を務めた。四代目校長である田中泰裕は、紀の早稲田大学 での教え子であり、理論と実技との両方面から美術制作、観照及び批評の三能力を開発養成するという建学の精神を受け継ぎ、昭和の終わり頃まで当校の存続に尽力した。小説家の井伏鱒二、漫画家の田河水泡(本名・高見沢忠太郎)、イラストーレーターの中 原淳一、画家の林武、美術評論家の柳亮など多彩な分野の俊秀を輩出した。また関わった教員に、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の創立メンバーである金原省吾、名取堯がいた。しかしながら日本美術学校の全容は必ずしも明らかとはなっていない。その理由は、各種学校として私塾のような形態で学校を運営してきたことが考えられる。あるいは戸塚町から板橋区練馬向山町(現・練馬 区向山)へ、また現在では埼玉県伊奈市にと度重なる校地移転、経営者の交代があり資料を永続的に保持できなかったことにも理由があると推察する。

古美術やかたの店内写真

メディアにも多数ご紹介いただいております

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

買取商品一覧

  • 金工作品
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  • 浮世絵・版画
  • 骨董品の翡翠
  • 銀瓶
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  • 骨董品の珊瑚

販売商品 PRODUCT

お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示してお店やホームページで販売、掲載しております。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

寄せ集めの鎧兜ですが骨董品売却依頼を頂き、出張してお譲り頂きました。

写真が4枚あります。くわしくはこちら この 鎧兜 は、江戸時代から明治時代初期頃に作られた 逸品 です。胴丸や腹巻も寄せ集めで、買い求められた時から使用されていた部品ではないと思われますが買取しました。長年時代を経てきた味わいがあり、それぞれの部品は 保存状態 の良い逸品ですが寄せ集めで価格的には安い品物ですが買取しました。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のような 逸品 です。この作品は販売はしていませんがこのような鎧兜は日本の大切な骨董品なので参考に紹介します。 鎧兜の説明を少ししますと、甲冑(鎧兜)とは、甲(鎧:よろい)及び冑(兜:かぶと)のことで、胴体部分を守る鎧と、頭部を守る兜からなる防具です。江戸時代に入り、天下泰平の世の中になると、甲冑(鎧兜)は、武士の威風を示すための道具になります。実戦での使用がなくなったことで、甲冑(鎧兜)には様々な装飾が施されるように。そして、幕末から明治維新の時期においては、武器の進化に追いついていくことができなかった日本式甲冑は、防具としての役割を終えました。このような日本の 金工作品 の歴史を辿る品物なので紹介しました。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地