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茶頭

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茶頭( さどう )

近世、茶事をつかさどるかしら。「茶道」「茶堂」とも書き、茶坊主の意にも用いる。

茶の湯のことにあたった者。茶堂、茶道とも書き、「ちゃどう」ともいう。茶の湯の古い文献にこの語は見当たらない。安土(あづち)桃山時代、不住庵梅雪(ばいせつ)、千宗易(そうえき)(利休)、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうきゅう)らが織田信長・豊臣(とよとみ)秀吉の茶頭となっている。江戸時代になり、とりわけ元和(げんな)から寛永(かんえい)(1615~44)にかけて、「江戸は数寄ばやり」といわれたほど茶事が盛んになった。古田織部や小堀遠州が将軍の茶湯(ちゃのゆ)指南にあずかる一方で、城中では柳営(りゅうえい)(幕府)茶道頭が定められ、地方各藩にも茶道方というような職掌ができた。茶道頭は、織部が2代将軍秀忠(ひでただ)に点茶法を授けたころ、すでに職制として定められており、当時、茶道頭の原田清次郎維利は現米70石を給されていた。1616年(元和2)徳川家康の没後駿府(すんぷ)を引き揚げた中野笑雲は、江戸に宅地と現米50石が与えられ茶道頭に用いられている。寛永から寛文(かんぶん)(1624~73)にかけては幕府の職制も整備され、御茶道頭が御数寄屋頭と改称され、その下に組頭、坊主、露次(ろじ)の者が配されるようになる。

〈さどう〉〈ちゃどう〉両様のよみ方があって一定しない。茶立人として諸侯に仕えた茶頭(さどう)と区別して〈ちゃどう〉とよませる場合もある。中国から移入された喫茶の習慣は、室町時代に茶の湯という芸能へと発展するにともない、独自の茶の道具やふるまい、思想、さらに茶のための建築や室礼(部屋の飾り方)などの要素をそなえるにいたった。

古美術やかたの店内写真

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京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

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お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

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FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

日本画の岩橋英遠の骨董品買取依頼を頂き、額装の10号の絵画を出張してお譲り頂きました。

写真が18枚あります。くわしくはこちら 先に品物を紹介させて頂きます。岩橋英遠(明治36年~平成11年)の作品の中でも出来の良い 逸品 で、 額装、寺内遊神堂の 共シール が付いており、サイズは10号で、題は「睦月」です。昔の 日本画 の素晴らしさが表現された、現在では滅多に見られない 名品 で高価買取させて頂きました。作品の状態は非常に良く、シミやひび割れ等無く、保存状態 の良い品物で買取ました。 岩橋英遠1903年(明治36)~1999年(平成11)96才没。北海道出身の日本 画家 で本名は英遠。北海道空知郡江部乙村で屯田兵2代目として岩橋浅次の長男に生まれた。1917年に北辰尋常高等小学校を卒業。卒業後は農業を手伝う傍らで 独学 で絵を描く。21歳で、日本 画家 を志し上京、山内多門に 師事。山内多門の死後は安田靫彦の門下生となる。1934年の 院展 で「新宿うら」を出品し、初入選を果たす。その後も多数の賞を受賞し、院展を中心に出品を続ける。1953年には日本美術院同人に推挙され、日本画 新時代の一翼を担う。日本芸術院会員、東京芸術大学 名誉 教授 となり、後進の指導にも励む。1972年「鳴門」で 日本芸術院 賞を 受賞。1981年日本芸術院会員、1989年に 文化功労者、1994年には 文化勲章 を受章。 作家の名前で相場価格の問い合わせをよく頂きますが、骨董品 や 茶道具 でも同じで、作家の 若書き と 晩年 の作品では、大きな差があります。また作家によれば最晩年の作品が特別高価な作品もあります。やはり何事も同じで、長年かかり自分の独自の境地の技術や世界を作る事が出来ます。このように若い時に作られた作品と、晩年になり自分の境地に達した作品では雲泥の差が出ます。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地