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八子鳳堂

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(やこほうどう)

運 命
八子さんは昭和十五年新潟和島村(現長岡市)に生まれた。生まれつき骨折しやすい。
四キロ離れた小学校にはお母さんに負ぶわれて行った。
午前の授業しか受けられないから、その頃はみな午後にあった図工など受けたこともなかった。
中学校には殆ど通えなかった。家にいて先生の貸してくれた本を読み、教科書を友に時間を過ごした。
卒業式も一人だけで行われた。そして、昭和三十四年、親類に紹介されて入った新潟の職業指導所。
洋服・時計などのコースの中で「竹」を選んだのは、これならできるかなという軽い気持ちからだったが、
母方のお祖父さんの家に竹藪があって籠を編んでいたりしたことも、少しは影響があったのかもしれない。
新潟は竹細工が盛んなところ、特に佐渡には職人も多く伝統産業として根付いていた。
学校では一年間の寮生活、夜の自由時間も一人だけ教室に残って、技術を身につけた。
若林一?斉先生はそんな八子少年を東京で開かれていた「日展」会場に連れ出した。
そもそもご自身が佐渡での職人仕事に飽きたらず、学校に学びそのまま母校講師となった人であった。
初めて出かけた東京、「作品」を目の当たりにして、
自分もこういうものを作りたいと思ったこと、それが八子さんの原点だ。
「竹でこんなすごいものができるのだ」「人はおもしろいことを考えているなあ」。
圧倒されるのでなく、自分も山の頂きを目指そうと歩き続けてきたこと、それも、楽しんで。
その強さは、常人には計り知れない様々な労苦に打ち克ってきた賜だろう。
以来四十五年、四人の師に仕え、技法も、作風も変化しているが、八子さんの技を花開かせたのは、「竹という職業は天職。
努力し勉強して、人が買いに来てくれるような職人になってほしい」「自由にやってみろ、
わからないところは聞けば何でも教えるから」「小さく纏めず大きなものを」という師達の教えだった。
手間仕事で時計と競争しながら数をこなし、限られた時間内で自分の作品を作り続けてきたのだ。

飛 躍
八子さんの生活は平成七年末に一変した。
「食えても食えなくても構わない」と、それまで請け負っていた電気の笠を作る仕事から足を洗い、
八木橋で念願だった初個展を開催、創作活動一本に絞った。
もともと、生まれ故郷の新潟を離れて深谷で独立したのは、この仕事を扱っていた森田秀三さんの手引き。
昭和四十八年以来、寺を守りながら、生業として師、弟弟子が手を引いた後も最後まで続けていた仕事だった。
顧みれば新潟の職業指導所で「竹」を学び、師の下で住み込み奉公しながらの長い徒弟時代、
創作に打ち込める時間は日曜日しかなかった。そんな生活の中で節目節目に新潟県展、日展、伝統工芸展と入選を果たしてきた。
取材者が「特別な星の下に生まれたんですね」と漏らすと、「僕は運が強いと思います」と返ってきた。
八子さんは昨年「竹との出会い」という本を纏めた。
写真・文共に自身の手によるもので、ご自分のお墓を寺内に建てた記念でもある。
ご夫婦共に大病を越え労り合い、地域の人達の間で慎ましく暮らしながら生み出される、自由闊達な作品の数々。
仕事以外で好きなものは問うと、手入れされた庭を見やり、答えは「花」。
今考えているのは「花びら」をかたちにすることだ。
花には一つとして同じかたちがないことを「おもしろい」と語った。

 

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

日本画の岩橋英遠の骨董品買取依頼を頂き、額装の10号の絵画を出張してお譲り頂きました。

写真が18枚あります。くわしくはこちら 先に品物を紹介させて頂きます。岩橋英遠(明治36年~平成11年)の作品の中でも出来の良い 逸品 で、 額装、寺内遊神堂の 共シール が付いており、サイズは10号で、題は「睦月」です。昔の 日本画 の素晴らしさが表現された、現在では滅多に見られない 名品 で高価買取させて頂きました。作品の状態は非常に良く、シミやひび割れ等無く、保存状態 の良い品物で買取ました。 岩橋英遠1903年(明治36)~1999年(平成11)96才没。北海道出身の日本 画家 で本名は英遠。北海道空知郡江部乙村で屯田兵2代目として岩橋浅次の長男に生まれた。1917年に北辰尋常高等小学校を卒業。卒業後は農業を手伝う傍らで 独学 で絵を描く。21歳で、日本 画家 を志し上京、山内多門に 師事。山内多門の死後は安田靫彦の門下生となる。1934年の 院展 で「新宿うら」を出品し、初入選を果たす。その後も多数の賞を受賞し、院展を中心に出品を続ける。1953年には日本美術院同人に推挙され、日本画 新時代の一翼を担う。日本芸術院会員、東京芸術大学 名誉 教授 となり、後進の指導にも励む。1972年「鳴門」で 日本芸術院 賞を 受賞。1981年日本芸術院会員、1989年に 文化功労者、1994年には 文化勲章 を受章。 作家の名前で相場価格の問い合わせをよく頂きますが、骨董品 や 茶道具 でも同じで、作家の 若書き と 晩年 の作品では、大きな差があります。また作家によれば最晩年の作品が特別高価な作品もあります。やはり何事も同じで、長年かかり自分の独自の境地の技術や世界を作る事が出来ます。このように若い時に作られた作品と、晩年になり自分の境地に達した作品では雲泥の差が出ます。

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