呉昌碩 高価買取いたします

呉昌碩 高価買取いたします

ごしょうせき 1844年~1927年
清末~中国近代の中国美術を代表する文人 画家 。

    柘榴図

浙江省安吉の人。名は俊卿、字は昌碩、別字に蒼石、 号 に缶廬・苦鉄・大聾。
300年近く存続した清王朝の最後を飾る文人として知られ、中華民国の初期まで、書・画・印に妙腕をふるった。

呉昌碩は幼少から私塾に通い勉学を積むも、太平天国の乱によって一家は離散、17〜21歳まで凄惨な放浪生活を強いられた。乱の平定後は村人に学問を教え、地方の小職に就きながら、書画篆刻に勤しむ。56歳のときに江蘇省の知事となるも、腐敗した官界に耐えられず1ヶ月で辞職。すでに盛名を馳せていた昌碩は書画篆刻で生計を立て、84歳で没するまで在野の職業文人として、旺盛な創作を展開した。絵画を学び始めたのは 30歳を過ぎてからで、書の 技法 を絵画に応用することを任伯年から勧められたことが契機だった。鮮やかな極彩色と大胆で簡明な筆致を組み合わせ、明瞭かつ直接的な表現形式の 逸品 を生み出して、 伝統 的な文人画を斬新で 20世紀にふさわしいものにした。八大山人と石濤という、明末清初の著名な作家に傾倒した。美術品や骨董品、そして呉昌碩買取させて頂きます。

画は筆力と気格のある個性的 画風 に達し、清朝最末期の代表的画人となった。花鳥画 ・ 山水画 を得意とし、また篆刻にもすぐれている。書は周の石鼓文に基づき高古疏落の新様式を樹立、一世を風靡した。紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文の臨書に励み、風韻を書・画・印に結実させている。詩集・缶廬集など。最晩年には張熊や康有為などとも交わった。
1927年死去、84才。

美術品や骨董品、そして呉昌碩買取させて頂きます。

 

 

古美術やかたの店内写真

メディアにも多数ご紹介いただいております

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

買取商品一覧

  • 金工作品
  • 根付
  • 竹籠
  • 煎茶道具
  • 刀装具
  • 印籠
  • 中国美術
  • 李朝
  • 鍔・小柄
  • 兜
  • 日本画
  • 古陶器
  • 甲冑
  • 銀製品
  • 掛軸
  • 伊万里
  • 鉄瓶
  • 櫛・帯留
  • 浮世絵・版画
  • 骨董品の翡翠
  • 銀瓶
  • 仏画
  • 洋画
  • 骨董品の珊瑚

販売商品 PRODUCT

お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示してお店やホームページで販売、掲載しております。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

売却依頼を頂き中国美術の菓子鉢や煎茶道具、抹茶道具の諸道具を茶道具出張買取でお譲り頂きました。

写真が4枚あります。くわしくはこちら 辰砂の鉢でシンプルな鉢ですが、色合いが綺麗な鉢です。時代は日本で言えば、江戸時代の 陶磁器 で、中国の時代では、明時代の末頃の作品です。このような 中国美術 の作品は、アジアのお客様に人気があり、高価買取させて頂きます。採光の加減で白く光った個所がありますが、上り も良く傷等無く 保存状態 の良い 逸品 です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの買取作品で、現状のまま販売しております。 この菓子鉢は煎茶道具や抹茶道具で使われているので、全体の 茶道具 についての説明を少しします。最初は奈良や平安時代に、遣唐使や留学僧によって伝えられ、貴重な飲料でした。その後鎌倉時代頃には、茶の専門書「喫茶養生記」を著し良薬として茶を紹介し、京都栂尾の高山寺に茶を植え広めました。さらに伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培され、南北朝時代になると「闘茶」が行われました。安土桃山時代になると、千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し、豪商 や武士たちに浸透していきました。江戸時代では一般庶民にもお茶が浸透して、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。宇治田原郷で、優良な煎茶の製法を編み出し、「宇治製法」と呼ばれ、1835年、山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されたといいます。明治時代は、アメリカを中心に重要な輸出品として茶が輸出されました。明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は衰退していきました。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地