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明珍宗察

みょうちん むねあき
年号が記された現存作では、東京国立博物館蔵の正徳3年の 銘 がある明珍宗察の龍がもっとも古い。
龍では最大で、出来栄えも優れている。

明珍とは、室町時代より続いた甲冑師の家名である。古くは轡師であったが、戦国時代より甲冑師として栄え、江戸時代には 鑑定 も行なった。 とくに鉄の鍛錬と打つ技法に長じていた。江戸時代中期の平和な時代には 置物 の製作を行った。

明珍系図によると、平安時代末に初代出雲守紀宗介が京都九条に住し、近衛天皇より明珍の 号 を賜ったと伝え、この紀宗介が開祖と伝えられている。室町末期に信家が中興。室町時代から甲冑と鉄鐔の製作を併行、桃山初期にかけて全盛。明珍派とよばれ、関東で活躍し、連綿として江戸時代に及び、江戸時代には全国に分布、や馬具なども製作した。 江戸時代のには小型厚手の鉄鐔に人物等を高彫したものが多い。正系は京都にあり、各地に分派した。

実際に 甲冑 の 逸品 をみるのは室町時代以降からで、その頃にはすでに相州小田原、鎌倉雪ノ下、常陸国府中、上野国小幡、白井など各地に分派ができていた。江戸時代に入ると江戸、姫路、広島、高知、金沢、福井、仙台、弘前などにも広く分布し、甲冑師ではこの明珍の系統がいちばん広まった。

 

 

 

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日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

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店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

寄せ集めの鎧兜ですが骨董品売却依頼を頂き、出張してお譲り頂きました。

写真が4枚あります。くわしくはこちら この 鎧兜 は、江戸時代から明治時代初期頃に作られた 逸品 です。胴丸や腹巻も寄せ集めで、買い求められた時から使用されていた部品ではないと思われますが買取しました。長年時代を経てきた味わいがあり、それぞれの部品は 保存状態 の良い逸品ですが寄せ集めで価格的には安い品物ですが買取しました。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のような 逸品 です。この作品は販売はしていませんがこのような鎧兜は日本の大切な骨董品なので参考に紹介します。 鎧兜の説明を少ししますと、甲冑(鎧兜)とは、甲(鎧:よろい)及び冑(兜:かぶと)のことで、胴体部分を守る鎧と、頭部を守る兜からなる防具です。江戸時代に入り、天下泰平の世の中になると、甲冑(鎧兜)は、武士の威風を示すための道具になります。実戦での使用がなくなったことで、甲冑(鎧兜)には様々な装飾が施されるように。そして、幕末から明治維新の時期においては、武器の進化に追いついていくことができなかった日本式甲冑は、防具としての役割を終えました。このような日本の 金工作品 の歴史を辿る品物なので紹介しました。

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