買取実績 buy

骨董品売却依頼で、岐阜県大垣市より来店頂き、古陶器や盃をお譲り頂きました。

売却例の説明
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直径約 12.5cm   高さ約 12.6cm

このお客様は岐阜県のお客様ですが、JRで観光ついでに数点の 古陶器 を持って来店頂き、説明の結果買取させて頂きました。お友達と一緒で「大垣城の近くの友達同士だ」と他の友達が話されていました。自宅でインターネットで当店の事を調べて来られたのだと思います。

九谷焼の面白い綺麗な盃洗なので、先に紹介します。明治時代頃の 陶磁器 で 九谷焼 です。すべて手描きで、赤絵付けが素晴らしく、可愛らしい盃洗です。瓔珞模様や見込みの金魚が 細密 に描かれており、非常に美しい 赤絵 の鉢です。採光の加減で白く光っておりますが、傷、欠け等無く、綺麗な品物です。このような盃は、最近では中国茶でも使われ、アジアのお客様に人気です。保存状態 の良い 茶道具骨董品 の九谷焼、李朝 陶器などの 古陶器 は高価買取します。

現在「古九谷」と呼ばれている九谷焼は、伊万里で焼かれ焼き物と言われています。其の後、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。

九谷焼 は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。廃窯後100年は、日本の 陶器 といえば 伊万里焼 でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。さらに、その若杉焼が成功したことで、大聖寺藩でも九谷焼再興が始まり、通称大聖寺の九谷焼が始りました。明治時代に入って九谷庄三の彩色 金襴手 が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。現在でも彩色金襴手や九谷焼独自の焼き物は外国のお客様に人気です。

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