古い時代の唐物

古い時代の唐物

唐物とは、中国の製品のことで、特に中世から近世時代の 美術品 を指し、煎茶道具など、日本の 伝統文化 や 美術工芸品 に大きな影響を与えたものです。 茶碗 で言えば、和物、 唐物に大きく分けた場合、和物の茶碗の代表的なものには楽焼があり、楽焼 以外の物は 国焼 と呼ばれています。対して、唐物の茶碗は、李朝高麗茶碗と呼ばれる物とその他、中国の天目茶碗などに分けられます。唐物 茶碗 の一例には、天目茶碗、珠光 青磁 、景徳鎮、呉須 赤絵 などがあります。また、中国陶磁以外には、素朴な作風が特徴である、安南焼 の茶碗も唐物と呼ぶことがあります。

竹工芸で言えば、室町時代、中国から煎茶と共に日本に招来した竹籠は、唐物籠と呼ばれ、江戸末期から煎茶の隆盛と共に明治にかけて珍重されました。しかしながら、時代とともに 日本独自 の竹芸が隆盛を極めるようになりました。

竹籠 は、中国や韓国から 伝来 して日本独自の美術工芸品として発達し、伝承 されてきました。日本では、煤竹の竹籠が有名で、その 伝統技術 は代々受け継がれています。

当時、籠師とよばれた竹工芸家は、主に中国美術の 花籠 を範とした‘‘ 唐物写し’’を製作していたが、やがて写しというコピー制作に飽き足らなくなり、独自の 作風 の竹籠を制作するようになります。それまで無銘であった作品に自らの 銘 を刻む竹工芸家が、関西、関東を中心に輩出されました。栃木の飯塚家がその代表で、最も人気があり著名な作家です。

 

 

 

 

古美術やかたの店内写真

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日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
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京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

陶芸作品の樂 慶入の黒楽茶碗で茶道具宅配買取を頂き、お譲り頂きました。

写真が8枚あります。くわしくはこちら この作品は、黒楽茶碗で 保存状態 も良く、茶の湯 では年中使用できる喜ばれる 逸品 で買取しました。樂 慶入の黒楽茶碗で 茶の湯 では大切に使われてきた抹茶道具の茶道具で高価買取させて頂きました。この作品は 名品 とまではいきませんが、お買い求め頂くお客様に喜んで頂ける 逸品 です。傷や欠け等無く保存状態の良い 陶芸 作品の 茶碗 です。また 茶会 では、一楽、二萩、三唐津と言われるように昔から、湯が冷めにくく好んで使われた逸品です。樂茶碗には昔の 職人技 が素晴らしい名品が数多く有ります。 樂 慶入について説明します。 817-1902 江戸後期-明治時代の陶工。文化14年生まれ。楽旦入(たんにゅう)の養子となり,京都の楽家11代をつぐ。旦入とともに紀伊(きい)和歌山藩の御庭焼にしたがう。西本願寺の御庭焼もおこない,大谷光尊から雲亭の印をおくられた。明治35年1月3日死去。86歳。丹波桑田郡(京都府)出身。本姓は小川,のち田中。名は喜貫(よしつら)。通称は吉左衛門。

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