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江戸時代、明暦(1655~1658)から元禄(1688~1704)にかけて加賀国九谷で焼かれた考えられる色絵磁器を、現在「古九谷」と呼んでいます。基本的には 白磁 、白釉陶、白化粧地透明釉陶などを 素地 として、特殊な絵具で文様を 上絵付 し、低火度で焼き付けた古陶器です。染付 、天目、 青磁などがありますが、渋く豪放な 作風 の 色絵 が特にすぐれています。色絵 は 陶磁器 の装飾 技法 の一つで、五彩、 赤絵 、錦手 、染錦手、十錦手などの総称です。中でも青手、と呼ばれる緑と黄を大胆に使った器は古九谷を代表する様式です。
特に日本の 赤絵 は世界でも名高いですが、 柿右衛門 が長崎在住の中国人に学んで創始したものといわれています。その 技法 が広まり、伊万里焼 は長崎の港から、日本や遠く海外にも 交易 で大量に運ばれました。中国の五彩磁器の影響を受けて発展した濃厚な色彩、躍動感あふれる大胆な構図の古九谷様式の伊万里焼は、一方では輸出需要からヨーロッパ好みの軽やかな赤の色彩が主役の柿右衛門様式へと展開し、一方では将軍献上用に格調高く仕上げられた鍋島焼に技術が応用されていきました。美術品や骨董品、古九谷は買取させて頂きます。
しかしながら、「古九谷」に関しては、産地をめぐって各論があります。開始時期をはじめとして、その発展の経緯や廃窯の時期、有田焼との関係など、その窯跡が発掘調査された現時点においても明確な結論が出ていません。17世紀初頭に日本で初めての磁器を焼きはじめた佐賀県の有田では、1640年代頃、色絵磁器の焼造にも成功します。一方、同じ17世紀中頃、加賀の九谷でも磁器窯が築かれました。1655年に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、九谷村で開窯したのが始まりです。豪快な色絵磁器が作られました。しかし、この九谷の窯はわずか100年たらずで廃窯してしまいます。その後、19世紀に入ると加賀に複数の窯が築かれることとなり、特にそのうちの吉田屋窯では、色絵磁器を「古く九谷でつくられたやきもの」であると考え、手本としました。こうして再興された19世紀の九谷焼に対して、手本となった色絵磁器は「古九谷」という名称で呼ばれるようになりました。このように、石川県加賀市山中温泉九谷町で焼かれた焼物をさす場合と、古九谷様式の 色絵 磁器をさす場合とに大別されます。石川県の九谷で江戸時代前期に磁器が焼かれたことは窯跡調査で判明しており、この窯址からは1656年、明暦2年の染付の陶片が出土していますが、これは世に伝世する古九谷とよばれる色絵磁器とは結び付きません。この古九谷と呼ばれている伝世色絵磁器は、現段階では伊万里焼である可能性が濃いと言われています。
九谷焼のような各藩の御用窯、藩窯は 、古い時代 から日本各地に様々ありました。日本では平安時代の猿投窯などがこれにあたり、世界では中国美術の官窯にあたり、乾隆年製と銘がはいっていたり、五彩、粉彩の陶磁器にもみられて、素晴らしい上手の名品として高価に取引されています。美術品や骨董品、古九谷は買取させて頂きます。
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