小菅吼月の竹籠買取いたします

小菅吼月の竹籠買取いたします

小菅吼月(こすげ こうげつ)

1932年(昭和7年)~2016年(平成28年)83才没。

小菅吼月は、ひねり組みを得意とし、竹のひねりの組み合わせで表現の仕方を創作し、リズミカルな表情の竹籠を制作しています。そのような精巧な細工が施されている出来の良い作品は高価に買取させて頂きます。

  二重組花籠

昭和7年、新潟県長岡市に生まれる。本名は忠昭。
18歳から竹工芸家の父、竹堂に 師事 する。
昭和26年、新潟県県展入選
昭和28・29年、越後工芸展 奨励賞
昭和31年、第2回 日本花器 茶器 美術工芸展通産大臣賞 受賞
昭和42年、第10回 日展 入選、政府買い上げとなり、ジュネーブ日本大使館に展示
昭和43年、第1回 個展 開催
昭和45年、大阪万国博覧会における世界各国からの来賓への日本の贈り物に計150点が選ばれる
昭和47年、全国植樹祭にて、昭和天皇に作品を献上
昭和48年、第7回 日本伝統工芸 展入選、以後51年、52年入選
昭和62年、芸展、新潟日報美術振興賞
平成元年、新潟伊勢丹にて竹芸40周年記念展開催
平成12年、京都高島屋にて個展開催
平成28年、1月死去
 

古美術やかたの店内写真

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

買取商品一覧

  • 金工作品
  • 根付
  • 竹籠
  • 煎茶道具
  • 刀装具
  • 印籠
  • 中国美術
  • 李朝
  • 鍔・小柄
  • 兜
  • 日本画
  • 古陶器
  • 甲冑
  • 銀製品
  • 掛軸
  • 伊万里
  • 鉄瓶
  • 櫛・帯留
  • 浮世絵・版画
  • 骨董品の翡翠
  • 銀瓶
  • 仏画
  • 洋画
  • 骨董品の珊瑚

販売商品 PRODUCT

お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示してお店やホームページで販売、掲載しております。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

骨董品売却依頼で黄檗宗の水墨画や掛軸を宅配でお譲り頂きました。

写真が3枚あります。くわしくはこちら 隠元隆琦は中国の明末時代の僧で、黄檗宗の開祖です。黄檗宗でも黄檗の三筆の一人とたたえられた方で、多くの水墨画や文人画等々、禅の書画を残されております。この書画もその内の一つだと思われます。江戸時代に日本にこられ宇治の黄檗山萬福寺を創建された中国の僧で、多くの作品が残され、禅の世界では非常に有名な僧で、高価買取させて頂きます。この 掛け軸 も非常に 保存状態 も良い 逸品 で、表具裂も昔の 裂 で、貴重な作品で、一行書 や 水墨画 の方が買取価格も高くなります。また禅語の掛軸は 骨董品 や 茶道具 として人気があります。 隠元隆琦について、隠元隆琦の俗姓は林諱で、中国の明末時代に生まれ、家は貧しく農耕、きこりを業としておられ、そのうちに若くして母を失われました。29歳で地元の黄檗山萬福寺の鑑源興寿について出家、各地を修行行脚ののち臨済宗を学び、萬福寺住職の費隠通容の跡を継いで臨済禅の宣揚に努められました。承応三年、63歳で長崎の興福寺住持逸然性融の招きにより日本に来られ、初め長崎興福寺、さらに崇福寺を経て、明暦年間に摂津国富田の普門寺に入り、万治元年には江戸で将軍徳川家綱に謁見した。京都でも後水尾天皇の母、中和門院に仕えた文英尼の帰依を受け,信望を得た。同 二年には後水尾天皇より宇治に地を賜り、家綱の上旨もあって寛文元年黄檗山萬福寺を創建した。のちに住持の席を木庵性瑫に譲り、晩年 を寺内の松隠堂で送った。82歳で亡くなられました。隠元の来日によってさまざまな中国文化が伝えられ、絵画、書、彫刻 などの美術は日本に大きな影響を与えました。 古美術やかたでは、小売価格を元にお引き取り価格を表示しております。その価格は、店頭やホームページに掲載して、遠くのお客様でも、ご納得頂けるようにしております。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地