販売商品 product

品番:X-1886

価格:売却済

高木治良兵衛 小判 灰匙

煎茶道具抹茶道具で使われる、釜と風炉の風炉の灰を整えるのに使われる茶道具です。
小さな作品ですが、共箱 で共布が付いております。
長年使用されてきた逸品だと思われますが、保存状態 も良く採光の加減で白く光っておりますが、完品 です。金工作品の中でも、丁寧な彫金細工が施され、彫る 技法 が素晴らしい逸品です。
高木治良兵衛は江戸時代から続く 茶道具 の釜や鉄瓶などを多く作られた著名な作家の金工作家で、現在では6代高木治良兵衛が継いでおられます。

良い機会なので、日本の 金工作品 と高木治良兵衛の紹介をさせて頂きます。
日本の 金工品刀装具、また甲冑で製作する際に必ず使われる製作技法が 彫金細工 です。
その種類は、糸鋸や鏨で切り取った「透かし彫り」や、地金を彫り模様や図案・文字を入れる「毛彫り片切彫」などの種類があります。
また、地金の裏から大きく打ち出した後、表から細部を押さえていく「打ち出し」の技法もあります。
本体の地金に意図する図案の溝を彫り、別の地金を嵌め込む技法が「象嵌」です。
他には地金の表面に細かい目を入れ金箔や金糸を打ち込む「布目象嵌」などがあります。
高木治良兵衛の高木家も釜などを主に作り現在も伝統を保持しており、初代 高木治良兵衛は(1828年~1885年)で、大西家十世浄雪に兄弟で師事し、兄は大西家十二世浄徳を継ぎ、十三世浄長の後見人として大西家に残る初代一世は大西家より独立し三条釜坐にて安政二年創業、初代高木治良兵衛を名乗ります。
その後、6代高木治良兵衛となり、五世の義弟:鎚起師三世「美芳」を継承・製作し、一方四世に 師事 し釜を製作しつつ五世の後見人として活躍し、現在各地で二人展を多数開催しておられます。

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

売却依頼を頂き中国美術の菓子鉢や煎茶道具、抹茶道具の諸道具を茶道具出張買取でお譲り頂きました。

写真が4枚あります。くわしくはこちら 辰砂の鉢でシンプルな鉢ですが、色合いが綺麗な鉢です。時代は日本で言えば、江戸時代の 陶磁器 で、中国の時代では、明時代の末頃の作品です。このような 中国美術 の作品は、アジアのお客様に人気があり、高価買取させて頂きます。採光の加減で白く光った個所がありますが、上り も良く傷等無く 保存状態 の良い 逸品 です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの買取作品で、現状のまま販売しております。 この菓子鉢は煎茶道具や抹茶道具で使われているので、全体の 茶道具 についての説明を少しします。最初は奈良や平安時代に、遣唐使や留学僧によって伝えられ、貴重な飲料でした。その後鎌倉時代頃には、茶の専門書「喫茶養生記」を著し良薬として茶を紹介し、京都栂尾の高山寺に茶を植え広めました。さらに伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培され、南北朝時代になると「闘茶」が行われました。安土桃山時代になると、千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し、豪商 や武士たちに浸透していきました。江戸時代では一般庶民にもお茶が浸透して、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。宇治田原郷で、優良な煎茶の製法を編み出し、「宇治製法」と呼ばれ、1835年、山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されたといいます。明治時代は、アメリカを中心に重要な輸出品として茶が輸出されました。明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は衰退していきました。