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吉向焼

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吉向焼( きっこうやき )

初代吉向治兵衛は通称亀次、伊予国大洲(愛媛県大洲市)の生まれで、父帯屋武兵衛は 砥部焼 の陶工でした。1764年ころ(明和)に京都に出て陶法を修め、のち大阪の十三に開窯しました。技巧 や意匠にすぐれた、近世屈指の名工と言われています。

初め治兵衛は、自らの通称の「亀次」をもじり、自分の作品を「亀甲焼」と呼んでいました。やがて1819年に大阪城の城代、水野忠邦に推薦され鶴と亀の 食籠 などを献上したところ、その作品が気に入られ、「吉に向かう」という意味の窯号「吉向」を授かりました。それ以降「吉向焼」の名が用いられるようになりました。

治兵衛の作品は多くの大名の間で特に人気を博し、故郷である紀州大洲藩の御庭焼の指導や、現在の山口県にあたる岩国藩では作陶を行い個人の も開いています。その後も、江戸屋敷や長野の須坂藩などで作品を作り続けました。治兵衛が京都で学んだ 楽焼 の流れをくみながらも、作品には 染付交趾 風のものも見られ、「吉向」「十三軒」「連珠」「出藍」などの がみられます。

初代治兵衛の江戸での養子が、江戸吉向となり、大阪吉向は亀治によって継がれ、その後、五代目になって、松月軒吉向と十三軒吉向の二家に分かれました。現在の、東大阪市日下町の十三軒と、枚方市の松月軒とがそれです。また、江戸吉向は、明治に入って廃窯しました。

 

古美術やかたの店内写真

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京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

数点の伊万里焼の骨董品持ち込み買取を頂き、お譲り頂きました。

写真5枚あります。くわしくはこちら アンティークや 古道具 の部類の 花瓶 ですが、面白い 図柄 が綺麗に丁寧に描かれており買取しました。色絵 の可愛らしい図柄が手描きで描かれており、非常に上がりの良い 置物 で買取しました。この作品は香蘭社の作品で、分類すると伊万里焼です。香蘭社も美術 陶芸 作品を販売しておりますが、戦争中の不景気な時には碍子を作り、不況を乗り越えて現在があるようです。割れや欠けも無く、保存状態 の良い、綺麗な骨董品で大きさも丁度使いやすいサイズです。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように状態の良い品物です。 伊万里焼 について、 佐賀県有田町では、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、多くの藩が陶工を日本へと連れ帰りました。1616年に、その中の一人、韓国の陶工・李参平(りさんぺい)が有田東部の泉山で 白磁 鉱を発見して、伊万里焼を焼いたのが始まりです。伊万里焼は、日本の 陶磁器 の元祖で、製造方法も丁寧に原材料の土をふるいにかけ、良い土だけ使われておりましたが、その後各地で伊万里焼の真似をした 下手 の作品が多くでまわり作られ、簡単な製造方法で、大量生産の為、土も悪く雑な作品でした。また、伊万里市南部では、藩窯である鍋島焼も生産され鑑賞陶磁として現在でも高価に取引されております。  

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