ジュエリーなどアクセサリー

翡翠を使ったアクセサリー

翡翠は、指輪やイヤリング、ネックレスなど「アクセサリー」に使われる代表的なジュエリーです。

●翡翠製の勾玉
国内で初期の翡翠装身具といえば勾玉、などの 玉器 で、当初は祭祀のための装飾品として活用されていました。その後は勾玉を耳に下げる耳飾りや、連結させて首飾りにして、翡翠製の装飾品として一般人にも広く使われるようになりました。その勾玉の中で特に有名なのが八尺瓊勾玉、で、歴代の天皇が継承してきた宝物で、三種の神器の一つです。日本で最も高名な 装飾品 といえるでしょう。海外、特に中国などアジア圏の支配階級にとっても、翡翠は東洋の宝石といわれ金や他の宝石よりも価値のあるものとして重宝されてきました。腕輪 や器、精細な 彫刻 をほどこした 置物小箱 の飾りなどに使われてきました。その 名品 の数々が残されています。

●翡翠製の耳飾り・首飾り
縄文時代には、翡翠を使った首飾りや耳飾りが作られていたことが分かっています。翡翠の歴史は古く、首飾りは勾玉をつなげた玉器の翡翠が縄文期の 遺跡 から出土しています。弥生期になると形を変えた丸玉の翡翠玉を連ねた首飾りが発掘されています。時代が進んだ遺跡からは、翡翠玉を念珠のようにした首飾りが一般人の中でも使われていたことが分かっています。日本では翡翠の産地としては、古くから良質な翡翠が採れました。青森県の三内丸山遺跡や、佐賀県の吉野ヶ里遺跡からの出土品や、山梨県では、世界最古の翡翠大珠が見つかっています。このように、古代では、翡翠は、不老不死の力を持つ石として大切にされ、 神道美術仏教美術 にも時の権力者の手によって素晴らしい 名品 が作られ残されております。

●現代のアクセサリーに通じる翡翠装身具
時を経て和服が主流になると、櫛、笄、帯留 めなどの和装小物が 装飾品 として人気となりました。もともと翡翠は希少価値のある宝石また、実用品に使われることはなかったようですが、時代が進み、生活水準も向上したことで、彫刻された翡翠が出来て市中に多く出回り、一般庶民の中でも翡翠製の や帯留めなどが使われるようになっていきました。明治以降には、翡翠は一般的な装飾品の材料として親しまれるようになり、翡翠のペンダントやネックレス、ブローチ、イヤリング、指輪などたくさんのアクセサリーに使われることになります。パワーストーンとしても、大切にされ人気があります。

●現在特に価値がある翡翠は、琅玕
一般的に価値が高いのは、半透明で深緑色をしたものです。エメラルドグリーン、琅玕と呼ばれるものが最高品質とされています。鮮やかな緑色の翡翠は、琅玕と呼ばれ翡翠の中でもかなり希少性が高く、骨董の世界では特別に高価で取引されています。もちろん偽物も多く、見極めには専門的知識が必要となり、注意が必要です。昔の 職人技 が生かされた 彫刻 や細工の素晴らしい翡翠の 逸品 、ジュエリーなどアクセサリーとしての翡翠の名品など、翡翠には骨董価値があります。近年、アジア圏の方々は、彫刻された翡翠の 帯留 などをネックレスやブローチなどのアクセサリーに加工し直して使用したりもするようで、良質な翡翠を使った品物は今たいへん人気が高まっています。翡翠で装飾された骨董品もたいへん人気があります。

 

 

古美術やかたの店内写真

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

買取商品一覧

  • 金工作品
  • 根付
  • 竹籠
  • 煎茶道具
  • 刀装具
  • 印籠
  • 中国美術
  • 李朝
  • 鍔・小柄
  • 兜
  • 日本画
  • 古陶器
  • 甲冑
  • 銀製品
  • 掛軸
  • 伊万里
  • 鉄瓶
  • 櫛・帯留
  • 浮世絵・版画
  • 骨董品の翡翠
  • 銀瓶
  • 仏画
  • 洋画
  • 骨董品の珊瑚

販売商品 PRODUCT

お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示してお店やホームページで販売、掲載しております。

お問い合わせ・買取のご相談

075-533-1956 11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

FAX 075-571-8648

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

骨董品売却依頼で黄檗宗の水墨画や掛軸を宅配でお譲り頂きました。

写真が3枚あります。くわしくはこちら 隠元隆琦は中国の明末時代の僧で、黄檗宗の開祖です。黄檗宗でも黄檗の三筆の一人とたたえられた方で、多くの水墨画や文人画等々、禅の書画を残されております。この書画もその内の一つだと思われます。江戸時代に日本にこられ宇治の黄檗山萬福寺を創建された中国の僧で、多くの作品が残され、禅の世界では非常に有名な僧で、高価買取させて頂きます。この 掛け軸 も非常に 保存状態 も良い 逸品 で、表具裂も昔の 裂 で、貴重な作品で、一行書 や 水墨画 の方が買取価格も高くなります。また禅語の掛軸は 骨董品 や 茶道具 として人気があります。 隠元隆琦について、隠元隆琦の俗姓は林諱で、中国の明末時代に生まれ、家は貧しく農耕、きこりを業としておられ、そのうちに若くして母を失われました。29歳で地元の黄檗山萬福寺の鑑源興寿について出家、各地を修行行脚ののち臨済宗を学び、萬福寺住職の費隠通容の跡を継いで臨済禅の宣揚に努められました。承応三年、63歳で長崎の興福寺住持逸然性融の招きにより日本に来られ、初め長崎興福寺、さらに崇福寺を経て、明暦年間に摂津国富田の普門寺に入り、万治元年には江戸で将軍徳川家綱に謁見した。京都でも後水尾天皇の母、中和門院に仕えた文英尼の帰依を受け,信望を得た。同 二年には後水尾天皇より宇治に地を賜り、家綱の上旨もあって寛文元年黄檗山萬福寺を創建した。のちに住持の席を木庵性瑫に譲り、晩年 を寺内の松隠堂で送った。82歳で亡くなられました。隠元の来日によってさまざまな中国文化が伝えられ、絵画、書、彫刻 などの美術は日本に大きな影響を与えました。 古美術やかたでは、小売価格を元にお引き取り価格を表示しております。その価格は、店頭やホームページに掲載して、遠くのお客様でも、ご納得頂けるようにしております。

アクセス

京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地