裏千家家元の詳しい説明と 買取

茶道流派の一つで、茶道諸流派中最大の流派。
裏千家」の語は、家元 とその家族らで構成される宗家を指すことも、「一般財団法人今日庵」などの法人組織を指すことも、弟子・門下生を含む流派組織を指すこともある。
裏千家 の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の 表千家(不審菴)に対して、今日庵が通りからみて裏にあるためそのように言う。
「千家」といえば本来、本家の表千家のことであったが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになった。
現在の家元は、千利休から数えて、十六代目の玄黙宗室 家元

裏千家家元 歴代
千利休の没後、傍系の二代千少庵(後妻の連子)の後を継いだ三代千宗旦が京都に屋敷を構え、
三男宗左が紀州徳川家に 茶頭 として仕えたのち千家の 家督 を継いで本家となり 表千家 となった。
その後、次男宗守は武者小路千家を、四男宗室は 裏千家 を興こしたのが三千家の始まりで、各家ともに 家元 は利休を初代として数える。
裏千家の家元は四代である仙叟の諱「宗室」を受け継いでいる。
四代仙叟宗室は千宗旦の末子で、1652年、加賀前田家の前田利常に出仕し、百五十石と小松城三の丸の屋敷を与えられた。
前田利常・元伯宗旦没後、裏千家四代 家元 を継承し、前田綱紀に 茶頭 として仕官し、百五十石と金沢城下の味噌蔵町の屋敷を与えられた。
江戸時代の1688年までは金沢と京都とを往復しながら精力的に活動し、金沢では長左衛門に楽焼大樋焼 を、宮崎寒雉に釜を作らせた。
五代不休斎は仙叟の長男で、仙叟没後すぐに加賀藩前田家に仕官したが、その後は伊予松山藩の久松家に仕官し、
茶道指南初代となり、江戸時代末まで両家との交流は続いた。
六代六閑斎は父の常叟が早世した為、表千家 の覚々斎・如心斎から教育を受けるが33歳で逝去。
七代最々斎は表千家七代如心斎の弟で、宗乾と称したが25歳で早世。
八代又玄斎は表千家七代如心斎および竺叟宗室の弟で、徳島藩蜂須賀家に仕官し、兄の 表千家 七代如心斎とともに中興の祖といわれ、
兄をはじめ、川上不白、中村宗哲、堀内宗心、無学和尚、三井八郎右衛門達と協議し七事式を制定した。
各地の町人富裕層に茶道を普及する事に精力的に努め、千宗旦百年回忌には、百会に及ぶ 茶会 を催した。
九代不見斎は寒雲・玄室とも称し、1788年、天明の大火ですべての茶室が焼失したが、復興に尽力し翌年には千家を再建した。
十代認得斎は加賀藩・伊予藩に奉行として出仕し、夫人は松室宗江で、秀でた茶人であった。
十一代玄々斎は三河国奥殿藩主大給松平乗友の子で、10歳の時に認得斎の女婿として養子に入った。
禅的消極的であった歴代とは違い、茶道以外にも華道、香道、謡曲などに通じており、明治時代万国博覧会に際し、
外国人を迎えるための立礼式を創案したり、茶箱点や和巾点を積極的に復興し、幕末から明治の変動の時代に合わせた茶道の近代化の先駆として評価されている。
十二代又玅斎は角倉玄祐の子で、京都の角倉家から養子に入り、明治の混乱期の中、新しい 裏千家 の基礎固めに努めた。
34歳の時、家督 を長男駒吉(後の十三代円能斎)に譲り、側面から流儀の伸長をはかった。
十三代円能斎は6年間東京に住み協力者を求め、京都に戻った後も教本の出版や女学校教育の中に茶道を取り入れて 教授 方針の一致をはかる講習会を催すなど、
一般への茶道普及に尽力した。
また三友式の創始、流し点や大円点の復興などの功績もみられる。
千宗旦二百五十回忌大法要 茶会 を催し、「今日庵月報」を記念事業として創刊した。
十四代淡々斎は円能斎の息子で、襲名 以前は玄句斎永世・玄句斎宗叔と称した。
太平洋戦争後は、茶道振興に幅広く取り組み、学校のクラブ活動で教えられる茶道の大半は裏千家となった。
また各地の寺院・神社にて献茶・供茶を行ったり、香炉を寄付して海外への普及にも尽力し、「社団法人茶道裏千家淡交会」を結成し、
家元を財団法人化する等、裏千家茶道の組織化を行った。
十五代鵬雲斎は 襲名 以前は宗興と称し、2002年に家元を譲り大宗匠「千玄室」と称し、戦時中の経験から、世界平和を強く希求し、茶道の海外普及に力を注いだ。
1951年(昭和26年)に日本文化使節として初の渡米を果たし、1973年(昭和48年)から「一碗からピースフルネスを」の理念を提唱し、
世界62ヶ国を歴訪、茶道文化の浸透・発展と世界平和の実現に向けた活動をしている。
社団法人日本青年会議所会頭を務め、1996年、文化勲章 を受章、現在は、ユネスコ親善大使として活躍している。
当代は十六代坐忘斎で、襲名 以前は宗之と称し、大徳寺 の中村祖順老師の下で得度、2002年に家元を襲名した。
一般財団法人今日庵理事長、一般社団法人茶道裏千家淡交会理事長、学校法人裏千家学園茶道専門学校校長などを兼務している。

古美術やかたの店内写真

メディアにも多数ご紹介いただいております

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。