買取実績 buy

骨董品売却依頼を頂き、残したい物と売却する物を整理したいので、と話されアドバイスがてら香川県まんのう町まで出張させて頂き古陶器の伊万里焼や諸道具をお譲り頂きました。

売却例の説明
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先に品物の事について説明します。時代は江戸時代後期頃から明治時代にかけての作品だと思われます。綺麗な 蛸唐草模様 で窯から出す 出し温度も良く、染付 の上がりや、貫入 も無く、また 保存状態 も良く傷・割れ等無く 完品 です。すべて手描きで、伊万里で人気の蛸唐草の 図柄 で、昔の 職人技 が素晴らしい 伊万里焼 です。伊万里焼は微かに鉄分を含んだ土で、丁寧に何度も精製された細かい上質の土を使われ、大きさも使いやすく、やはり 染付 の食器はどんな食べ物を盛りつけても似合うので人気があります。骨董品伊万里焼は買取させて頂きます。

伊万里焼について説明致します。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に、秀吉の死で幕を閉じますが、このとき朝鮮半島から陶工を日本に連れ帰ります。そして1616年、連れ帰った陶工の李参平(りさんぺい)が有田の泉山で白磁鉱を発見し、日本最初の磁器が焼かれたといわれています。朝鮮半島から連れて来られた陶工たちは、有田に定住し、李朝 様式から中国様式、染付白磁青磁 といったさまざまな手法を次々に消化しながら、磁器の製法に磨きをかけていくことになります。正保3年には酒井田柿右衛門らが、赤、緑、黄などの絵の具で文様を描く 赤絵 付けに成功し、日本初の 色絵 磁器を生み出したとされています。その後、オランダの東インド会社が 有田焼 を買い付けた背景もあり、古伊万里 はヨーロッパの王侯貴族を中心に広がっていきます。有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために、有田焼は通称「伊万里焼」或いは「伊万里」と呼ばれるようになりました。古伊万里はヨーロッパの多くの磁器に影響を与え続けたのです。こうした400年の歴史の中で完成された伊万里・有田焼は一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島」の三様式に大別することが出来ます。日用食器から観賞用の 美術品 まで揃えた品揃え、白く美しい磁肌、華やかな 絵付、使いやすさ、高い耐久性で沢山のファンを魅了し続けています。伊万里焼は、丁寧に何度も精製された細かい上質の土が使われ、昔の 職人技 が素晴らしい 名品 で、後に、真似をして作られた、瀬戸焼 等の 陶磁器 とは違う、日本を代表する陶磁器です。

このお客様のご事情を説明します。奥さんの実家の何代も前の人が道具屋さんと言いますか、今で言う古道具屋さんをされていて、明治時代頃の昔の話だそうですが、奥さんの実家を建て直しされるので残っている骨董品や 茶道具 で売れるものが有るか無いか分かりませんが、あれば売却したいと思われ中の品物を見て頂きたいと、お電話で相談されたので、四国の香川県の国営讃岐まんのう公園まで出張買取させて頂きました。

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