買取実績 buy

お隣の奈良市のお客様ですが、骨董品売却依頼を紹介して頂き興福寺近くまで出張させて頂き、古陶器や九谷焼、その他諸道具をお譲り頂きました。

売却例の説明
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税理士先生からのご紹介で、何代も続いたお宅の 古道具諸道具 の整理依頼で伺いました。お隣の奈良県で興福寺が近くにあり、ご自宅もさすが昔から続いた町家で珍しい 工芸品古民芸 の作品を拝見させて頂きました。数点の 骨董品古陶器茶道具 も拝見させて頂き、あまり古い時代の逸品ではありませんが、結構数多くの古道具や諸道具をお譲り頂きました。雑器ですが使いやすそうな 陶磁器 が有ったので、先に紹介させて頂きます。九谷焼ですが、再興九谷や赤絵のような正式な九谷焼ではありませんが、買取価格も安く、販売価格も安く販売できるので先に紹介させて頂きます。

この九谷焼は、明治時代の終わりから昭和にかけて作られた作品で、数作られた庶民の器だったと思われます。この 逸品 は時代も新しく、色や作品の裏には九谷焼と書かれておりますが、完全に後作りの作品で、簡単な観賞用に作られた作品です。保存状態 の良い逸品ですが、貴重な作品では無く、買取価格も安くなります。

九谷焼は古九谷から始まりますが、最近では伊万里で焼かれていたという説もあります。文化4年頃から始められた再興九谷、青木木米を招き金沢の春日山 を開いたのが、九谷焼の始まりとしますと、その後、九谷焼の 著名 な作家九谷庄三が文化13年頃から活躍。彩色金欄手を確立し、九谷焼は主要な輸出品となり、欧米で人気を集めて、輸出される九谷焼の庄三風と呼ばれる 画風 が人気でした。ウィーン 万国博覧会 などの 博覧会 に出品されると同時に西洋の技法も取り入れ、型押しの技術が九谷焼にも使われ、獅子をはじめとする置物の製作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進みました。その後、現在のような歴史を経て 陶芸家 が育成さました。

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