沈壽官 買取

沈壽官は、15代に渡り、400年以上続く薩摩焼の陶芸家
薩摩焼は、文禄・慶長の役の頃に、当時の藩主島津氏が朝鮮から連れ帰った李朝の陶工たちによってはじめられました。
1867年(慶応3年)のパリ万国博覧会では、ヨーロッパの人々から高い評価を受け、世界に「SATSUMA」の名を轟かせました。
さまざまな技法を凝らした作品は、現在でも国内外で根強い人気があり、人々を魅了し続けています。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

沈壽官の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

沈壽官(ちんじゅかん)

菊絵茶碗

鹿児島県日置市の美山にある、400年の歴史を誇る薩摩焼の 窯元
島津義弘が、朝鮮に再出陣した際に連れ帰った陶工たちが、慶長8年(1603年)に現在の美山に移住。慶長15年(1610年)に初代となる沈当吉が苗代川焼を開窯しました。
その18年後の寛永5年(1628年)に、薩摩藩の命を受けた沈当吉が、朝鮮王朝の陶工である朴平意と共に今日の薩摩焼を創製しました。
薩摩焼は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のもので、「国焼」と呼ばれています。
温かみのある 象牙 色の艶やかな 陶器 で、緻密 にデザインされた 透かし彫り と気品ある色彩の 絵付け の白薩摩は、他に類のない美しい焼き物として珍重されています。

十二代
幕末期の藩営焼物工場の工長。
薩摩焼の振興に多大なる貢献を果たし、天才と呼ばれました。
日本を代表してオーストリアのウィーン万博に六フィート(約180cm)の大 花瓶 一対を含む幾多の作品群を発表し、絶賛を浴びました。
以降「サツマ」は日本 陶器 の代名詞になっていきました。
明治33年(1900年)パリ万博にて銅賞。
明治34年(1901年)緑綬褒賞を受賞
明治39年(1906年)死去。

十三代
明治39年(1906年)襲名
苗代川陶器組合長として薩摩陶業の発展に尽くし、現在の沈壽官工房の礎を築き上げました。
昭和39年(1964年)死去。

十四代
昭和45年(1970年)大阪で開かれた万国博覧会に白薩摩浮彫大 花瓶 を出品し、好評を博しました。

十五代
昭和58年(1983年)早稲田大学を卒業。
昭和63年(1988年)イタリア国立美術陶芸学校を修了。

沈壽官の作品  作風と買取価格のワンポイント

若年の作品よりも、それぞれの代で沈壽官独自の全盛期の晩年の作品が高価買取対象です。
簡単に作られた作品から時間をかけた力作、またデザインや作品の種類により買取価格は変わります。

 

 

 

沈壽官の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

沈壽官の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には沈壽官の自筆のサインと 落款 が押されています。共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。

シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

当代 沈壽官

 

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

沈壽官をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には沈壽官の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
沈壽官の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ、適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

古美術やかたの店内写真

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買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

 

沈壽官 略歴

薩摩焼宗家の沈壽官は、16世紀末(慶長2年、1597年)に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から薩摩へ連れてこられた朝鮮陶工の末裔である。
島津義弘が、朝鮮に再出陣した一年後、約80名の陶工たちを連れ帰った陶工たちが、慶長8年(1603年)に現在の美山に移住し、慶長15年(1610年)
に初代となる沈当吉が苗代川焼を開窯。その18年後に、当吉は薩摩藩の命を受け、朝鮮王朝の陶工である朴平意と共に今日の薩摩焼を創製した。
以来、400年続いている。

12代沈壽官は、島津家藩主、島津斉彬の頃より、藩営焼物所の工長を務めた。明治6年、ウィーン万博博に大 花瓶 一対を出品し、外国人の大きな賞賛を博した。以降、フランス、ロシア、アメリカなどの諸外国に薩摩焼を輸出する道を切り開いていった。

14代は、早稲田大卒。卒業後は、代議士の秘書として働いた。13代が死去した1964年(昭和39)、14代を襲名した。
1999年には長男に15代を 襲名 させた。創作活動に加え、1970年の大阪万国博覧会など国内外での 展覧会 への出品、焼きものを紹介した著書などを通じ、薩摩焼の普及に尽力した。薩摩焼を通じた日韓の文化の橋渡しにも積極的に貢献。1989年には国内初の韓国名誉総領事に任命された。
1998年(平成10)の薩摩焼400年祭では先祖たちの故郷、韓国ナムォン市から「 の火」を船で運び、両国の親善と友好の証とした。
1999年には日本人として初めて韓国銀冠 文化勲章 を受章した。2004年に鹿児島県指宿市で日韓首脳会談が行われた際には、当時の盧武鉉・韓国大統領を地元の沈壽官窯に迎えた。2010年には長年の日韓文化交流活動が評価され、旭日小綬章を受章した。
400年の歴史を持つ薩摩焼の振興と発展に力を尽くし、鹿児島伝統のガラス細工・薩摩切子から着想を得た新しい 技法 も生み出した。
釉薬 の改良に努め、試行錯誤の結果「井光黒」とよばれるこれまでにない黒薩摩を開発した。

15代は、1999年1月15日、十四代沈壽官存命中に、長男一輝が十五代を襲名した。「焼物を見るだけではなく、焼物を読み、焼物から聞く」と述べる氏は、実用的なものから装飾的なものまで、多彩な作陶を生み出し続けている。精緻な技術で高い人気を誇る「透かし彫り」の技術を盛り込んだ作品を作り上げている。
薩摩焼は鹿児島の豊かな風土に育まれるとともに、陶工たちの弛まぬ努力によって独自の発展をとげ、堅野系、龍門司系、苗代川系という異なる 作風 の系統を生みだした。
現在では県内全域に 窯元 が存在し、さまざまな技法を凝らした 逸品 を製造されている。

沈壽官の主な出来事や作品の年表

沈壽官家の始祖である初代 沈当吉は、慶尚北道青松郡に本貫を置く青松沈氏の家系で、慶長の役の際、慶長3年(1598年)、
島津義弘によって朝鮮国から連行された一人である。その子孫は、他の被虜朝鮮人の子孫と同様に朝鮮風の氏名を代々受け継ぎ、
苗代川に居住することを薩摩藩から命じられた。第2代 沈当壽と第3代 陶一は、陶工として優れた技能を持ち、藩の陶器所を主宰した。
第6代 当官以降、当主はしばしは郷役役人を兼ねた。

明治以降の第12代以降は、初代 沈当吉の末裔にあたり、以後、この当主によって 襲名 されている。

第12代 沈壽官 1835年(天保6年)~1906年(明治39年)
幕末期の藩営焼物工場の工長。幕末維新期の激動期を生き、廃藩後、藩の保護を失った薩摩焼の が次々と廃業を余儀なくされるなか、
民間経営への移行に成功するなど薩摩焼生産の近代化に尽力した。薩摩藩財政改革の中で薩摩焼の振興に多大なる貢献を果たした。
明治6年(1873年)のオーストリアのウィーン万博に日本を代表して出品し、絶賛を浴びた。以降「サツマ」は日本 陶器 の代名詞になっていく。
その後も数々の万国博覧会や内国 勧業博覧会 などに出品を重ねて高い評価を受け、海外販路の拡大に大きく貢献した。
透し彫り、浮き彫りの技術で明治18年(1885年)農商務卿 西郷従道より功労賞を受けた。
明治26年(1893年)には、アメリカ合衆国シカゴ・コロンブス万博において、銅賞を獲得。
明治33年(1900年)にはパリ万博にて銅賞。明治34年(1901年)には産業発展の功労者として緑綬褒賞を賜った。
明治36年(1903年)にはハノイ東洋諸国 博覧会 において金賞、明治37年(1904年)セントルイス万博にても銀賞を受賞した。
明治39年(1906年)精力的に薩摩陶業に邁進し、死去した。
海外の嗜好に決して迎合せず、日本人の美意識を貫き、最後まで自らを「平民」と称し続けた硬骨の人と言われている。

第13代 沈壽官 1889年(明治22年)~1964年(昭和39年)
12代沈壽官の長男、本名は正彦。
1906年の12代の死去に伴い沈家当主とともに「沈壽官」の名を継ぎいだ。
これ以降沈家当主は、現在に至るまで代々「沈壽官」の名を 襲名 している。
鹿児島県における 陶磁器 産業の振興に努め、戦時期・戦後期を通じた地域経済の復興に尽力した。
1920年代以降は文化政治下の植民地朝鮮の 陶芸 界とも交流を持った。

第14代 沈壽官 1926年(大正15年)~2019年(令和元年)
13代の長男、本名は大迫恵吉。
早稲田大学卒業。
1964年、13代の死去に伴い沈家当主と沈壽官の名を継いだ。
司馬遼太郎と親交があり、司馬の小説「故郷忘じがたく候」(1969年刊)の主人公のモデルとなった。
1989年に国内初の大韓民国名誉総領事に就任。
日韓の文化交流に努めたことでも知られている。
2000年、母校早稲田大学より芸術功労賞を受賞
2010年、旭日小綬章を受章。

第15代 沈壽官
14代の長男で本名は一輝。
1983年に早稲田大学を卒業。
1988年にイタリア国立美術 陶芸 学校を修了。
1999年、14代在世中に15代沈壽官を 襲名

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