棟方志功 買取

棟方志功の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

京都祇園、骨董では日本一の場所柄、四季折々には1日100名程のお客様に来店頂いております。
当店では相場価格に関係無く、棟方志功の作品の入荷をお待ちのお客様も多くおられます。
棟方志功は特に人気があり、高価買取させて頂きます。

棟方志功(むなかた しこう)

棟方志功買取

妙如菩薩󠄀の柵

1903年(明治36年) 刀鍛冶職人の棟方幸吉の三男で、青森県青森市に生まれました。豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。18歳の時、雑誌『白樺』に掲載された、ゴッホの「ひまわり」に出会い、画家 になろうと決心します。洋画の会「青光画社」を結成。油絵にのめり込んでいく。
1924年(大正13年) 21歳で東京に上京。その後、出品するも絵はなかなか世間に認められず落選が続く。
1928年 (25歳)帝展 には「雑園」(油彩画)を出品し、初入選を果たします。ゴッホが高く評価して称賛した木版画に気付き、日本の 木板画 でなくては、表現できない美を研究した。油彩画から木版画に転じ(木版画の神様)と言われた平塚運一に学び、木版画 の制作に没頭する。
1930年(昭和5年) 国画会 に版画4点を出品し初入選。赤城チヤと結婚するも生活苦は続く。独自の造形で自己の 木版画 を「板画」と称し、自ら「倭画」と呼んだ 肉筆 画作品を描きました。
1936年 「大和し美し」は民芸運動の柳宗悦や河井寛次郎らの目にとまって交友が始まる。
1938年 (昭和13年) 第2回新文展に出品し、版画 では官展初の特選となる。日本民藝館展にも版画《観音経曼荼羅》出品、本格的に裏彩色を始める。その後、棟方板画と呼ばれる独自の作品が生まれ、宗教的主題や、素朴な情念、広大な宇宙観にただひたすらの、「無私の心に咲く無名の美」を創作の信念として、多くの傑作を残した。その後、外遊や日本は元より世界で数多くの 受賞 や作品の発表をした。
1970年 文化勲章 を受章時にはチヤ夫人に感謝し、「この勲章の半分はチヤのもの」と讃えた。また、郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」という石碑が地元にあります。

棟方志功の作品  画風と買取価格のワンポイント

棟方志功買取

御鯉図

ふっくらとした美人画で、大首といわれる女性の顔のアップに手彩色を施した美人図は特に人気があり、また「二菩薩釈迦十大弟子」などは希少価値があり、菩薩の顔を描いた作品等、高価買取させていただきます。版画の摺り色も濃い、薄いで買取価格も違い、大首の 女性像 の作品は、華やかな裏彩色を施している程、高く評価できます。
 

1903年(明治36)~1975年(昭和50)72才没。
明治36年(1903)青森市の刃物鍛冶屋の父鍛冶職棟方幸吉、母さだの三男。15人兄弟。
大正10年(1921)友人松木満史、古藤正雄、鷹山宇一ら3名と洋画の会「青光社」をつくり、
第1回展覧会を日本赤十字社青森支部で開く。
大正14年(1925)川上澄生の版画「初夏の風」をみて感動、版画 制作へむかった。
昭和3年 (1928)平塚運一を訪れ、版画を学び始める。
昭和5年 (1930)赤城チヤと結婚。国画会展にはじめて「群蝶」など4点を出品し、入選する。
昭和11年(1936)柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と知り合い、棟方芸術に多大な影響を及ぼす。
昭和12年(1937)国画会同人となる。 版画に宗教的境地が現れてくる。
昭和31年(1956)アメリカ各地で 個展 を開催。日展 評議員となる。秋に左眼を失明する。
昭和35年(1960)藍綬褒章を授与される。
昭和38年(1963)昭和39年度朝日 文化賞 を受ける。紺綬重飾褒章を授与される。
昭和42年(1967)日本板画院より名誉会員に推される。渡米。
昭和45年(1970)文化勲章 を受章。文化功労者として顕彰される。
昭和50年(1975)富山県福光町に棟方志功記念館愛染苑開館。肝臓癌のため死亡。
 

 

棟方志功の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

棟方志功の場合、以前鑑定されていた棟方志功のご長男、棟方 巴里爾の鑑定書をお持ちの方は一緒にお持ちくださいませ。
掛軸の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には棟方志功の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
額装の場合は、共シール が大切な評価基準になります。
共シールとは、一般的に、名刺大で、作品の裏側に貼られており、棟方志功の直筆のサインと題名が書かれ、落款が押されています。

シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定書の有無に関わらず、まず当店で無料の真贋の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の鑑定は、美術俱楽部やそれぞれの指定された鑑定機関で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

棟方志功鑑定委員会

最近、偽物の鑑定書も多く出回っております、気を付けてお買い求めくださいませ。

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

棟方志功をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には棟方志功の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
棟方志功の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ、適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

古美術やかたの店内写真

TV出演お断りの理由は「古美術やかたの特長」や「買取のお客様必見」を詳しくご覧下さい。

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11:00~18:00(定休日:月・火)

※ご予約の買取業務は定休日も行っております。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

 

買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

 

 

棟方志功(むなかた しこう)

棟方志功買取

くちなし妃の柵

青森県青森市で代々鍛冶職を営んできた刀鍛冶職人・棟方幸吉と母さだの三男として生まれる。小学校卒業後、家業の鍛冶職を手伝い、さらに裁判所の給仕となる。
1924年(大正13年)画家 を志し、鷹山宇一らと洋画グループをつくり、東京へ上京すると、帝展や白日会展などに油絵を出品するも、落選が続く。上京して5年目の1928年(昭和3年)に第8回日本創作版画協会展、第6回春陽会展に版画が入選、第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、初入選。「雑園」の入選する前から、版画に心をひかれていたが、川上澄生氏の「初夏の風」という版画を見て感激し、同郷の下沢木鉢郎氏に連れられて平塚運一氏を訪れ、初めて版画の道に入り、本格的な木版画制作を始める。
1929年(昭和4年)に春陽会に版画4点が入選し、翌1929年(昭和5年)には、国画会に出品した版画4点が全て入選。この頃から「版画」一筋に行くことを決心した。
1930年(昭和5年)からは文化学院で美術教師を務め、1932年(昭和7年)に日本版画協会会員となる。この頃から仏教的主題が多くなる。
1934年(昭和9年)に佐藤一英の詩「大和し美し」を読み感動し、制作のきっかけとなった。
1936年(昭和11年)国画会に「大和し美し」(版画巻)を出品して日本民芸館に買上げられ、柳宗悦、河井寛次郎浜田庄司氏らの知遇を受けるようになる。これが出世作となり、これを機に河井寛次郎、柳宗悦ら民芸運動の人々と交流する様になり、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすこととなった。日本創作版画協会展、春陽会展、国画会展に版画を出品のほか、帝展に油絵を出品。
1937年国画会同人となり、1938年の第2回新文展で初の特選、1941年(昭和16年)には第5回佐分賞 受賞
1942年(昭和17年)以降は、版画を「板画」と称して、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。棟方の肉筆画作品は「倭画」と呼ばれ、国内だけでなく、国外でも板画と同様に評価されている。第二次世界大戦中に富山県に疎開し、浄土真宗にふれ、「阿弥陀如来像」「必至無上道」「蓮如上人の柵」「我建超世願」「御二河白道之柵」など、仏を題材とした作品を制作した。また非常にねぶた好きであったため、作品の題材としても描いた。生前ねぶた祭りに跳人として参加している映像や写真も現存し、また歓喜する自身の姿を描き込んだものも存在する。
1952年(昭和27年)スイスの第2回ルガノ「白と黒」国際展で受賞、日本版画協会を脱会し、日本版画院を結成。
1955年(昭和30年)第3回サンパウロ・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞。
1956年にベネチア・ビエンナーレ展で国際版画大賞を受け、世界的な評価を確立。その間に日本板画院を創立して主宰、国内とアメリカの各地で数多くの展覧会を開いた。
1956年(昭和31年)第28回ヴェネチィア・ビエンネーレに「柳緑花紅頌」などを出品し、国際版画大賞を受賞し、世界の棟方としての地歩を築いた。
1960年(昭和35年)アメリカ各地の諸都市の大学で講演をしたり、個展 を開催し、ヨーロッパにも行ってゴッホの墓を訪ねる。
1960年(昭和35年)藍綬褒章を授与され、1963年(昭和38年)朝日文化賞、紺綬重飾褒章、ダートマス大学より名誉文学博士号、イタリア芸術院より名誉会員になる。このころから極度に視覚が弱くなったが、ときに縄文的とか、青森の祭ねぶたのエネルギーとかと評される奔放な 作風 と旺盛な制作意欲は変ることなく晩年まで続いた。縄文的血脈の現代的開花とも評されるその作風は、独特の宗教的表現主義である。
1965年(昭和40年)青森市から名誉市民賞を授与される。棟方の郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論のこと、風物に対しても大変心をよせていた。また青森市の合浦公園には、少年達を励ますために「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」という言葉を刻んだ記念の石碑が建てられている。
1970年(昭和45年)毎日芸術大賞を受章、文化勲章 受章、従三位、文化功労者 として顕彰される。
1971年(昭和46年)日展 常任理事となり、青森市に棟方志功記念館が開館した。
1975年(昭和50年)富山県福光町に棟方志功記念館愛染苑開館し、同年死亡、同日付で贈従三位。
1982年(昭和57年)佐藤尚武郷土大賞受賞。20世紀の美術を代表する世界的 巨匠 の一人で、宗教的主題の多くの傑作を生み出し、日本画 の大作も多い。 木版画 の代表作は「大和し美し」「二菩薩釈迦十大弟子」「湧然する女者達々」「柳緑花紅頌」ほか。なお、1963年倉敷市の大原美術館内に棟方板画館、1975年11月には郷里の青森市に棟方志功記念館が開設された。棟方は、版画のほかに、独特の文体をもった随想・随筆でも知られた。著書に「板画の話」(宝文館、昭和29年)、「板極道」(中央公論社、昭和39年)ほか、「棟方志功板画大柵」「わだばゴッホになる」など数十冊にのぼる。また、油絵、倭画、書、詩歌などに多くの傑作も残されている、浮世絵師で版画家。

棟方志功の主な出来事や作品の年表

明治36年(1903)青森市の刃物鍛冶屋の父鍛冶職棟方幸吉、母さだの三男。15人兄弟。
大正5年 (1916)青森市立長嶋尋常小学校を卒業。家業の鍛冶職を手伝う。このころ、凧絵とネブタに熱中し、武者絵を描く。
大正10年(1921)友人松木満史、古藤正雄、鷹山宇一ら3名と洋画の会「青光社」をつくり、第1回 展覧会 を日本赤十字社青森支部で開く。
大正13年(1924)青森市立長嶋尋常小学校を卒業後、給仕の職など働きながら 画家 を志して上京、独学で絵を学んだ。白日会展、帝展 などに出品。
大正14年(1925)川上澄生の版画「初夏の風」をみて感動、版画制作へむかった。版画家平塚運一、前田政雄らを知り、春陽会展、日本創作版画協会展、国画会展などに出品した。油絵「清水谷風景」白日会に入選する。
昭和3年 (1928)平塚運一を訪れ、版画を学び始める。第8回日本創作版画協会展、第6回春陽会展に版画7点を出品、3点入選。第9回帝展に帝展に「雑園」(油彩画)を出品、初入選。この頃から版画へと興味を移し、本格的な木版画制作を始めた。
昭和5年 (1930) 赤城チヤと結婚。国画会展にはじめて「群蝶」など4点を出品し、入選する。
昭和6年 (1931) 油絵と版画による最初の 個展 を開催。白日会より油絵「猫と少女」で白日賞を受け、会友に推される。この年、同会を脱会。
昭和7年 (1932)日本版画協会会員となる。国画会奨学賞、白日会F氏賞受賞。
昭和11年(1936)第11回国画会展に出品した「瓔珞譜大和し美し版画巻」が柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らの注目を集め、棟方版画の出発点となった。柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と知り合い、棟方芸術に多大な影響を及ぼす。
昭和12年(1937)国画会同人となる。版画に宗教的境地が現れてくる。
昭和13年(1938)第2回新文展に「善知鳥版画巻」出品、特選となる。
昭和16年(1941)第5回佐分賞 受賞
昭和21年(1946)日展岡田賞受賞。福光町栄町に住居を建て移り住む。「鯉雨画斎(りうがさい)」と呼び、また谷崎潤一郎の命名にて「愛染苑(あいぜんえん)」ともよぶ。
昭和27年(1952)第2回スイス・ルガノ「白と黒」国際展で優秀賞受賞。日本版画協会を脱会し、日本版画院を結成。
昭和30年(1955)第28回ヴェネチィア・ビエンナーレで日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞。「世界のムナカタ」の地位を確立。
昭和31年(1956)アメリカ各地で個展を開催。日展評議員となる。秋に左眼を失明する。青森県褒賞を授与される。
昭和34年(1959)ロックフェラー財団とジャパンソサエティーの招きで、山下汽船山君丸で渡米。ニューヨーク、ボストンなど各地の大学で版画の講義と個展を開催し、11月帰国。オランダ、フランス、スペイン、イタリア、スイスへ1ヶ月旅行し、パリ郊外オーベルのゴッホの墓を訪れる。
昭和35年(1960)藍綬褒章を授与される。「狩漁の柵」「鷺畷の柵」「松網の柵」「般若心経板画柵」などを制作。クリーブランド美術館主催の「棟方志功展」がアメリカ各地で開かれる。
昭和36年(1961)青森県庁玄関上に板壁画「花矢の柵」を制作。日本国際美術展に「七海の柵」、日展 に「円空の柵」などを発表。『中央公論』連載の谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」の 挿絵 板画の制作を始める。
昭和37年(1964)「風舞の柵」(のち「風韻の柵」「渦風の柵」と改題)「巴舞の柵」(のち「巴韻の柵」と改題)「誕生の柵」、日展に「伊我良天神像」(のち「怒天神の柵」と改題)などを発表する。
昭和38年(1963)昭和39年度朝日 文化賞 を受ける。紺綬重飾褒章を授与される。ダートマス大学より名誉文学博士号、イタリア芸術院より名誉会員に。日展に「貝族の柵」、日本国際美術展に「恐山の柵」を発表する。南米チリで日本大使館主催で「棟方志功展」を開催する。
昭和39年(1964)「道標の柵」「讃々の柵」「天網の柵」「賜顔の柵」などを制作、「東海道棟方板画」を開板する。皇居の御歌会始に招かれる。伊勢神宮に奉献する倭画「富士山」「不二山」を完成。首相官邸の貴賓室に「柳緑花紅頌」屏風を制作。朝日新聞社主催の「棟方志功板業代表作展」を東京、名古屋、他で開催する。中央公論社より自伝『板極道』、朝日新聞社より『東海道棟方板画』を刊行。「賜顔の柵」(7回日展)、「道標の柵」(6回日本現代美術展)、「湧然する女者達々」(15回選抜秀作美術展)
昭和40年(1965)青森市から 名誉市民 賞を授与される。「津軽海峡の柵」、草野心平の詩による「富嶽頌」、「弁財天妃の柵」などを制作する。他にハワイ、アメリカでの作品「ミキの首飾り」「ミキの耳飾り」などを制作し、出品する。日本の木版画に尽くした功績により昭和39年度朝日文化賞を受ける。セントルイスのワシントン大学の招きで渡米し、4月まで日本版画を講義する。ダートマス大学より名誉文学博士 を受け、帰国。イタリア芸術院より名誉会員に推される。紺綬重飾褒章を受ける。
昭和41年(1966)日本現代美術展に「乳願の柵」を出品する。倭画「富士十題」などを制作。倉敷・大原美術館「棟方板画館」に出陳するため、「追開東海道棟方板画妙黛屏風」を完成する。岩崎美術社より草野心平詩、棟方板画による『富士山』を刊行する。
昭和42年(1967)日本国際美術展に「津軽三味線の柵」(4柵)、日展に「巴礼寿の審判の柵」(のち「審判の柵」と改題)「砂山の柵」「誓刻の柵」などを発表する。日本板画院より名誉会員に推される。アメリカのクリーブランド市のメイ・カンパニー主催による「棟方志功板画 屏風 形体ワンマンショー」のため渡米。続いてニューヨークのブルックリン美術館、ワシントンのスミソニアン美術館でも展示。翌43年末帰国。
昭和43年(1968)日本現代美術展に「手に負う者達々の柵」、日展に「御志羅の柵」(のち「飛神の柵」と改題)を発表。他に「安於母利妃の柵」「立つ者々の柵」「湧く者々の柵」(のち「湧然美神の柵」と改題)「撫生子の柵」「釈迦三尊の柵」「合浦の柵」などを制作。大阪万国博のための大板壁画「大世界の柵」の制作に着手する。
昭和44年(1969)毎日芸術大賞を受章。日展に「東北風の柵」を出品したほか、「光明の柵」「烏帽子鷹妃の柵」「大世界の柵 乾 」を制作。青森市名誉市民第1号とその称章を受ける。青森市文化センターの板壁画「華狩頌」「宇宙頌」の除幕と同館開館記念の「青森名誉市民棟方志功作品展」を開催。朝日新聞社主催による板芸業四十周年記念「棟方志功障壁画展」が東急日本橋店で開かれる。講談社より『棟方志功板画大柵』、弘前・緑の笛豆本の会より『哀しき父と悲しき母の物語』刊行。
昭和45年(1970)文化勲章 を受章。従三位。文化功労者 として顕彰される。藤尚武郷土大賞受賞。日展に「第九の祭柵」(「亦楽窓頌板画柵」ともいう)、友人の竹内俊吉のために「竹内俊吉句板頌」などを制作。『棟方志功板画大柵』と「板芸業40年記念障壁画展」に対し、第11回毎日芸術大賞を受ける。名古屋・名鉄百貨店で「毎日芸術大賞受賞記念棟方志功展」を開催。講談社より『棟方志功芸業大韻』を刊行。「第九の祭柵」(2回日展)「大世界の柵 乾 」(万博日本民芸館展)「釈迦十大弟子」(20回日本板画院展)
昭和46年(1971)日展常任理事となる。青森市に棟方志功記念館開館。日展に「八甲田山の柵」「名久井鷹妃の柵」「十三の詩の柵」などを制作する。朝日新聞社主催の文化勲章受章記念展を東京、大阪、福岡、熊本、青森、名古屋、広島で開催する。陸奥新報社創刊25周年を記念し、「棟方志功ねぶた」(弘前式の扇ねぶた)を作る。東奥日報社制定の第1回佐藤尚武郷土大賞を受ける。講談社より浜田益水の写真集『写真棟方志功』『日本の名画・棟方志功』が刊行。
昭和48年(1973)金沢・三越で「棟方志功芸業展」開催。東急日本橋店で「蘭奢待頌展」開催する。芭蕉の『奥の細道』の取材。この旅行での三百余点の スケッチ をもとに「奥海道棟方板画」13柵のほか、板画10数点などを制作する。倭画「八甲田山」連作などを制作、神戸・湊川神社楠公会館の倭画大壁画を完成する。財団法人棟方板画館を設立。東急札幌店開店記念として「宝門加得渡宇頌韻展」を開催。東急日本橋店で新作による「棟方志功芸業昴展」を開く。
昭和49年(1974)「禰舞多運行連々絵巻」を制作。「むさしのひめかみの柵」「深大寺鐘桜の柵」など20数点を制作、また「『わだはゴッホになる』の柵」を発表。日本放送協会より放送文化賞を受ける。「羽海道棟板画」13柵を制作。東急吉祥寺店開店を記念して「吉祥展」を開催。志功を改め、志昴とする。渡米。ダラスのサザン・メソジスト大学、ワシントン大学などで講演と木版画制作のデモンストレーションを行う。日展に「捨身施虎の柵」出品。
昭和50年(1975)富山県福光町に棟方志功記念館愛染苑開館。3月、NHK放送開始50周年記念切手「観聞の柵」発行。日展理事、日展常任理事となる。毎日映画社の記録映画「彫る-棟方志功の世界」完成。5月下旬、旧作「瞞着川板画巻」から13点を選び彩色、51年度安川カレンダーとする。東京・杉並区の自宅で肝臓癌のため死去。享年72歳。従三位を追贈される。東急日本橋店で「棟方志功石版画展」を開催する。集英社より『現代日本の美術・棟方志功』刊行。
昭和51年(1976)9月、朝日新聞社より板画の主要作品を網羅した『棟方志功板業集』を刊行。9月10日より年内にかけて棟方板画館、朝日新聞社の主催で「棟方志功展」が東京・名古屋・大阪・京都・横浜・札幌で開催。
昭和57年(1982)佐藤尚武郷土大賞 受賞

 

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買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

茶道具売却依頼で、金工作品で純銀製品の茶入を売却頂きました。

写真が15枚あります。くわしくはこちら 最大横幅約 7cm 高さ約 9.2cm 重さ約 193g ご高齢の女性のお客様でしたが、ご自宅の整理をされていて、査定して頂きたいと、お写真を持って来店されました。その後ご帰宅されてから買取して頂きたいと作品を宅配でお送り頂きました。先代が 茶道具愛好家 で、大切にされていた 逸品 だけに、家族の方々と相談され、お返事を頂いたようです。煎茶道具 の写真を見せて頂いて、買取価格を提示して自宅に帰られてから数点の 逸品 を送り頂きました。この 茶入 れは材質は純銀製品です。時代は大正時代前後頃で、煎茶道具の 茶入 です。金工作品 ですが、ご覧のように、手打ち で施された鎚起 技法 の槌目模様が美しく、丁寧に作られた 逸品 です。作品の底に「純銀」と 刻印 が入っております。最近ではこのような 金工作品 の茶入が中国のお客様に人気があります。採光の加減で白く光っておりますが、未使用品に近く、保存状態 の良い品物です。 このような 茶入 の形で、大きな茶壺も人気があり、お持ちのお客様がおられましたら高価にお譲りさせて頂きます。

 

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