黒田正玄 買取

茶道家元と黒田正玄の合作の茶杓ですが、その題字や宗匠の晩年作かどうかで買取価格も変わります。
宗匠と合作の作品が多くあり、昔の歴代宗匠と黒田正玄の合作の作品は人気で特別高価買取できます。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
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日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

黒田正玄の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

黒田正玄(くろだ しょうげん)

黒田正玄買取

昔形竹茶器

千家十職 の一つで、竹細工・柄杓師を務める家が代々 襲名 している名称。
柄杓の他、台子、香合茶杓花入 など竹を使う 茶道具 を製作し、千家に納めてきた家系。
初代正玄は、元々武士から転職して柄杓の製作を学び、評判の竹細工師となった。
柄杓作りの腕が認められ、竹の茶道具製作を生業とし、京に転居する。
小堀遠州とも縁を持ち茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。
二代正玄は小堀遠州の推薦により徳川家光の御用柄杓師となる。
三代正玄から歴代三千家、将軍の御用達で著名な作家の柄杓師となりました。
六代正玄は天明の大火に遭遇したが、蔵が残り古い資料を現代まで 伝承 する。   
以後、明治時代に致るまで、歴代三千家、将軍の御用達柄杓師となる。
十一代正玄は富岡鉄斎と親交もあり、三千家の御用を務める。
当代は初の女性当主で、平成18年より千家に出仕し平成26年、十四代を襲名する。
 

黒田正玄の作品  作風と買取価格のワンポイント

黒田正玄買取

置筒花入 銘 不老門

表千家裏千家、小堀遠州の宗匠と黒田正玄合作の作品は、高価買取対象です。
晩年の各流派の宗匠との黒田正玄合作の作品は人気で、高価買取できます。
各流派の昔の歴代宗匠と黒田正玄の合作の作品は人気で、特別高価買取できます。

 
黒田正玄の場合、一般的には、宗匠と合作の作品が買取対象です。

 

 
初代 黒田正玄
天正6年〜承応2年(1578〜1653)
字は七郎左衛門。越前国黒田郡生。
当地の当主である丹羽長重に仕えるが、浪人となる。
豊臣秀吉に柄杓を納めていた一阿彌が師匠で柄杓の製作を学び竹細工師となる。
黒田正玄と し、その後竹細工が評判を呼び、京に転居。
小堀遠州の推挙により江戸幕府御用達の柄杓師となり、千宗旦にも柄杓を納める。

二代 黒田正玄 寛永3年〜貞享4年(1626〜1687)
小堀遠州の推薦により徳川家光の御用柄杓師となる。

三代 黒田正玄 明暦5年〜享保2年(1656〜1717)
茶道家元三千家、また江戸時代、将軍の御用達柄杓師となる。

六代 黒田正玄 延享4年〜文化11年(1747〜1814)
京の町人の中でも 重鎮 であり、茶道家元三千家の御用を務める。
天明8年(1788年)、天明の大火に遭遇、蔵だけがが残り、比較的古い資料を現代まで 伝承 する。

八代 黒田正玄 文化6年〜明治2年(1809〜1869)
幕末動乱期の中、明治維新 によって大得意先の将軍家の消滅で得意を失う。

十代 黒田正玄文政8年〜明治33年(1825〜1900)
明治2年、養父の死により 家督 相続するが、将軍家が無くなり、茶道も斜陽の時期を迎えるという困難の中、家業の維持するのに苦労する。

十二代 黒田正玄 明治39年〜昭和63年
大正15年に家督を相続、昭和18年に政府認定技術保存資格者、昭和51年紺綬褒章 受賞
茶道具や美術工芸品、また煎茶道具も作る。

当代は十四代 黒田正玄 昭和42年~(1967年~)
十三代の長女で初の女性当主。平成2年、同志社女子大学学芸学部英文学科卒業。
平成18年より千家に出仕し平成26年十四代を 襲名 する。
 

 

黒田正玄の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

黒田正玄の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には黒田正玄の自筆のサインと 落款 が押されています。共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。

汚れや傷みがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定証 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。一般的に工芸作品の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

当代 黒田正玄

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

黒田正玄をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には黒田正玄の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
黒田正玄の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ、適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

黒田正玄の買取実績と買取価格の解説

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黒田正玄 略歴

黒田正玄買取

鵬雲斎好 松鶴大棗

千家十職 の一つで、竹細工・柄杓師を務める家が代々 襲名 している名称。
柄杓の他、台子、香合花入 など竹を使う 茶道具 を製作し、千家に納めてきた家系。
初代正玄は、丹羽長重に仕える武士であったが、関ヶ原の戦 い後、浪人となり剃髪して大津に移り住んだ。
著名な作家一阿弥を師匠として柄杓の製作を学び、評判の竹細工師となる。
柄杓作りの腕が認められ、竹の茶道具製作を生業とし、京に転居する。
武家茶人であった小堀遠州の元に熱心に通い茶道の修行をし、推挙で江戸幕府御用達となり、茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。
遠州は大名への仕官も薦めたが、固辞した。
また、大徳寺 156世住持・江月宗玩の元に参禅していたことで、 千宗旦に紹介されて柄杓を納めるようになる。
隠居後は洛北・瓜生山の麓に住み、近所のよしみで石川丈山と親交を結ぶ。
現在も黒田家に掛かっているのれんの字は石川丈山の筆によるものと伝えられる。
二代正玄は、江戸時代の27歳の時に 家督 を相続し、小堀遠州の推薦により徳川家光の御用柄杓師となる。
千家とのかかわりは三代正玄からで、明治維新 にいたるまで、歴代三千家、将軍の御用達柄杓師となる。
四代正玄は13歳の若さで家督を相続し、将軍家・三千家御用を務めるが、40歳で早世。
四代に子供がいなかったため、二代の妻の実家である勝見五郎兵衛家から養子に迎えられた五代正玄は、才能高く、徳川吉宗、表千家如心斎、裏千家又玄斎、武者小路千家直斎の御用を務める。
六代正玄は上京の町年寄を務めるなど、京の町人の中でも 重鎮 であり、柄杓師としては徳川家治、家斉、表千家啐啄斎、裏千家不見斎、武者小路千家一啜斎の御用を務める。
天明の大火に遭遇し、家屋敷を失うが、他の 千家十職 がそれまでの家伝や資料なども失った家が多かったのに対し、黒田家は倉だけは焼け残った為、比較的古い資料を現代まで 伝承 する。
七代正玄は、先代に引き続き上京町年寄、及び徳川家斉、表千家 了々斎、裏千家 認得斎、
武者小路千家好々斎の御用を務める。
八代正玄は、父の死により11歳の時に家督を相続し、先代に引き続き将軍家・三千家御用達柄杓師を務める。
幕末動乱期の中、51歳で後継者を失い、明治維新 によって大得意先の将軍家の消滅という悲劇に遭う。
十代正玄は、八代の一番弟子であり、既に結婚独立していたが、九代の急死の為、
急遽師匠の命により呼び戻されて後継者となる。
その時に妻子を離縁したといわれている。
明治2年、養父の死により 家督 相続するが、将軍家が無くなり、茶道も斜陽の時期を迎えるという困難の中、家業の維持に苦心する。
明治14年、隠居し、明治33年に逝去。
遺言により黒田家の菩提寺ではなく修学院(現・京都市左京区)の実家の菩提寺に、筍型の墓石を築かれ、葬られる。
十一代正玄は富岡鉄斎と親交があり、表千家碌々斎、裏千家又玅斎、武者小路千家一指斎の御用を務める。
44歳で急死、息子がまだ6歳だった為、叔父黒田常次郎と父の 弟子 上田定次郎に後見され、大正15年に十二代正玄を襲名する。
人間国宝まではいきませんが、昭和18年に政府認定技術保存資格者、昭和51年に紺綬褒章を 受賞 する。
十三代正玄は昭和35年に早稲田大学文学部卒業後、千家に出仕する。
昭和41年に十三代を襲名。
平成26年、隠居して玄督を名乗る。
当代は十四代で初の女性当主。
平成2年、同志社女子大学学芸学部英文学科卒業。
卒業後は航空貨物会社勤務を経て家業に従事し、平成18年より千家に出仕する。
平成26年、十四代を 襲名 する。

黒田正玄の主な出来事や作品の年表

初代 黒田正玄
天正6年〜承応2年(1578〜1653)
字は七郎左衛門。越前国黒田郡生。
成長して、当地の当主である丹羽長重に仕えるが、関ヶ原の戦 いで長重が西軍につき改易、七郎左衛門も浪人となる。
この時に剃髪して黒田正玄と し、大津に移って竹細工の製造を始める。
豊臣秀吉に柄杓を納めて「天下一」と称されていた著名な作家の一阿彌という醒ヶ井の井戸守が、
黒田正玄の柄杓づくりの師匠であったといわれる。
その後竹細工が評判を呼び、京に転居、茶道具や煎茶道具を作る。
小堀遠州の元で茶を修行し、その推挙により江戸時代に幕府御用達の柄杓師となる。
遠州は大名への仕官も薦めたが、それは固辞。
また、大徳寺 156世住持・江月宗玩の元に参禅していたことで、 千宗旦に紹介されて柄杓を納めるようになる。
隠居後は洛北・瓜生山の麓に住み、近所のよしみで石川丈山と親交を結ぶ。
現在も黒田家に掛かっているのれんの字は石川丈山の筆によるものと伝えられる。

二代 黒田正玄
寛永3年〜貞享4年(1626〜1687)
初代の三男。諱は宗正。
27歳の時に 家督 を相続する。
小堀遠州の推薦により徳川家光の御用柄杓師となる。

三代 黒田正玄
明暦5年〜享保2年(1656〜1717)
二代の長男。初名は弥助。
徳川綱吉、表千家覚々斎、久田宗全の御用達を務める。
宝暦元年(1704)、隠居し正斎と名乗る。
享保2年、室町通今出川に転居。

四代 黒田正玄
元禄5年〜享保16年(1692〜1731)
三代の長男。
13歳の若さで 家督 を相続し、将軍家・三千家御用を務めるが、40歳で早世。

五代 黒田正玄
宝永5年〜安永7年(1738〜1778)
四代に子供がいなかったため、二代の妻の実家である勝見五郎兵衛家から養子に迎えられる。
幼名は才次郎。
徳川吉宗、表千家 如心斎、裏千家又玄斎、武者小路千家直斎の御用を務める。

六代 黒田正玄
延享4年〜文化11年(1747〜1814)
五代の長男。幼名は正次郎。字は弥吉。剃髪後は弄竹斎、玄堂。
江戸時代には、上京の町年寄を務めるなど、京の町人の中でも 重鎮 であり、柄杓師としては徳川家治、家斉、表千家啐啄斎、裏千家 不見斎、武者小路千家一啜斎の御用を務める。
天明8年(1788年)、天明の大火に遭遇、家屋敷を失うが、他の 千家十職 がそれまでの家伝や資料なども失った家が多かったのに対し、黒田家は倉だけは焼け残ったため、比較的古い資料を現代まで 伝承 する。

七代 黒田正玄
明和5年〜文政2年(1768〜1819)
六代の養子。字は弥三郎。後に弥吉。
47歳で家督を相続する。
養父に引き続き上京町年寄、及び徳川家斉、表千家了々斎、裏千家認得斎、武者小路千家好々斎の御用を務める。

八代 黒田正玄
文化6年〜明治2年(1809〜1869)
七代の長男。幼名は熊吉。元服後は弥吉。
11歳の時、父の死により家督を相続する。
先代に引き続き将軍家・三千家御用達柄杓師を務める。
幕末動乱期の中、51歳で後継者を失い、明治維新 によって大得意先の将軍家の消滅という悲劇に遭う。

九代 黒田正玄
天保8年(1837年)〜安政6年(1859年)10月20日(旧暦)
八代の長男。字は弥一郎。
修行中、父に先立って早世。

十代 黒田正玄
文政8年〜明治33年(1825〜1900)
八代の婿養子。初名は利助。
八代の 弟子 であり、既に結婚独立していたが、九代の急死のため、急遽師匠の命により呼び戻されて後継者となる。
その時に妻子を離縁したといわれている。
明治2年、養父の死により 家督 相続するが、将軍家が無くなり、茶道も斜陽の時期を迎えるという困難の中、家業の維持に苦心。
明治14年、隠居し、明治33年に逝去。
遺言により黒田家の菩提寺ではなく修学院(現・京都市左京区)の実家の菩提寺に、筍型の墓石を築かれ、葬られる。

十一代 黒田正玄
明治2年〜明治44年
十代黒田正玄と八代黒田正玄の娘の間に生まれた長男。幼名は熊吉。
富岡鉄斎と親交があった。
表千家 碌々斎、裏千家 又玅斎、武者小路千家一指斎の御用を務める。
44歳で急死。

十二代 黒田正玄
明治39年〜昭和63年
十一代の長男。本名は久万吉。
父が死去したときまだ6歳だったため、叔父黒田常次郎と父の弟子上田定次郎に後見され、大正15年に 家督 を相続する。
昭和18年に政府認定技術保存資格者
昭和51年4月28日紺綬褒章 受賞
94歳で逝去。

十三代 黒田正玄
昭和11年〜平成29年
本名は正春。
昭和35年、早稲田大学文学部卒。千家に出仕する。
昭和41年、13代黒田正玄を 襲名
平成26年、隠居して玄督を名乗る。

当代
十四代 黒田正玄 昭和42年~(1967年~)
十三代の長女、本名は益代。
平成2年、同志社女子大学学芸学部英文学科卒業。
卒業後は航空貨物会社勤務を経て家業に従事し、平成18年より千家に出仕する。
平成26年、十四代 黒田正玄を 襲名 する。

 

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写真が4枚あります。くわしくはこちら この 金工作品 の材質は錫で、時代は大正時代ごろのものだと思われます。小さな作品ですが、上品な作品で中国茶にはちょうど程よい大きさで裏側に秦蔵六の 刻印 があります。蔵六の作品ですが、時代を経てきた味わいのある茶托ですが彫り物も無く、最近では結構安い価格の買取商品です。錫製品の為、採光の加減で影ができたり、白く光っておりますが、状態の良い品物です。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より買取させて頂いた、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、現状のまま販売しております。お店では 骨董品茶道具 の安価な品物を販売しており、ホームページ上では販売しておりませんが紹介させて頂きます。 煎茶道具 の中には、錫で出来た道具が沢山ありますが、手入れや使用の注意をまとめてみました。金属 工芸品 は色の変色はありますが、特別な手入れはほとんど必要ありません。融点の低い金属で、火の傍に置かないことが大切です。また、長時間家庭用の冷凍庫へ入れっぱなしにしされても、変色や質感が変わります。使用する直前に急冷される程度なら問題はありません。最近身近に売っている「メラミンフォーム」と言う洗剤のいらない台所スポンジが錫、銀も傷めることが無く油汚れだけを綺麗に取り去ります。

 

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