与謝蕪村 買取

与謝蕪村は、文人画を得意とし、国宝や重要文化財 に数多く指定されています。
俳画の創始者で、色彩豊かであたたかみを感じさせる与謝蕪村の作品は掛軸や小品でも高価買取致します。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

与謝蕪村の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

与謝蕪村(よさ ぶそん)・特徴と技法

与謝蕪村買取

草蘆三顧図屏風(右隻)

1716年(享保元)~1784年(天明3)68才没。

江戸時代中期に活躍した俳人、画家 です。
松尾芭蕉や小林一茶と並び、江戸俳諧の 巨匠 の1人と言われています。
情景が鮮やかに浮かび上がる「絵画的」と評される俳句を数多く生み出しています。
画家 としても素晴らしい才能の持ち主で、俳句に詠われた情景を描く「俳画」という分野を確立しました。
その作品は 国宝重要文化財 に指定されているものも多く、たいへん高い価値を誇ります。

1716年、与謝蕪村は現在の大阪府に生まれました。
20歳の頃に俳諧を学ぶために江戸に転居。
27歳のときに江戸を出て東北をめぐります。
30~40代は諸国を行脚しながら過ごしました。
各地で俳句を詠み、絵を描き、宿代の代わりに絵筆をとって生活していたといわれています。
長く続いた放浪生活の果てに42歳で京都に落ち着き、妻子を持ち、平穏な生活を続けます。
50代に入ってから再び杖を手に取り、現在の香川県に腰を落ち着けました。
俳句を詠んだり絵を描いたりする生活を送り、晩年には再び京都に戻り、家族とともに過ごしました。
京都では句を詠み、絵を描くほか、弟子 を取って句を教えるなどして活動しました。

代表作は、「奥の細道図」、著名な作家池大雅との合作「十便十宜図」などがあります。
その他、「山水図」「紅白梅図」などが代表作として知られています。

与謝蕪村の作品  画風と買取価格のワンポイント

与謝蕪村は、たくさんの掛軸や屏風、短冊や色紙を残しており、高価買取致します。
写実的な文人画、俳句と絵を合わせた俳画はたいへん人気があり、高価買取対象です。

絵画は簡単な作品から時間をかけた力作があり、また 図柄 や種類によって買取価格は変動します。
若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年名品 が高価買取対象です。
与謝蕪村は江戸時代の人物で偽物も多くあり注意が必要ですが、本物であれば高価買取させて頂きます。

 

 

 

与謝蕪村の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

与謝蕪村買取

寒林山水図屏風

掛軸 の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には与謝蕪村の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
額装 の場合は、共シール が大切な評価基準になります。
共シールとは、一般的に、名刺大で、作品の裏側に貼られており、与謝蕪村の直筆のサインと題名が書かれ、落款が押されています。

シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

与謝蕪村の場合、鑑定機関はありません。

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

与謝蕪村をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には与謝蕪村の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
与謝蕪村の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

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与謝蕪村 略歴

与謝蕪村買取

草蘆三顧図屏風(右隻)

絵画的浪漫的 作風 の俳人、松尾芭蕉、小林一茶と並び称される。
江戸時代中期を代表する俳諧の 巨匠 の一人であり、中興の祖。
絵画では池大雅と共に活躍し、日本 南画文人画の大成者とされる。
俳句と絵でこっけい味を楽しむ「俳画」の創始者。

姓は谷口、のち与謝と改める。
蕪村は俳号、他俳号に宰鳥・宰鳥夜半亭など、画号 を四明・朝滄・長庚・春星。
晩年 は謝寅と する。
代表作に池大雅との合作「十便十宜図」がある。
著作には俳体詩「春風馬堤曲」、句日記「新花摘」など。

1716年(享保元)摂津国東成群毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)で生まれる。
17歳頃に両親を亡くし、財産も失い、江戸へと下った。
江戸時代に活躍した俳人の早野巴人に出会い 師事 する。
早野巴人の師は、「奥の細道」で有名な松尾芭蕉。
早野巴人のもとで俳句の奥深さや楽しさを感じ、また松尾芭蕉を次第に敬い慕うようになった。

27歳の時に師である早野巴人が亡くなり、尊敬する松尾芭蕉の足跡を辿りながら放浪の旅へと出掛けた。
松尾芭蕉の足跡を辿り東北に行ったり、師である早野巴人の故郷に立ち寄るなど約10年程放浪の旅を続けた。
幼い頃から好きだった絵を描いては泊まらせてもらった宿に宿泊代として置いて行ったと言われている。

1751年36歳で、京都に住居を構え、家庭を持ちながら、俳句や絵画など数多くの作品を製作した。
また、55歳では師である早野巴人が名乗っていた夜半亭を引継ぎ「夜半亭二世」と名乗る。

1753年、51歳の頃、讃岐に赴き、多くの作品を手掛ける。
讃岐で良質の中国絵画に接し、新奇な中国主題を描いた。
大雅との合作「十便十宜図」以降、大雅との画技の差を歴然と感じたという。
それを克服する過程で、俳諧と絵画が融合し、また、日本と中国が融合した独自の 画風 を築きあげていった。

晩年は京都に移り住み、数々の作品を製作した。
1779年に六曲一隻程の大きさの「奥の細道図 屏風」を製作。
この作品は、松尾芭蕉の「奥の細道」の原文に絵画を取り入れた俳画。
松尾芭蕉を敬い慕う与謝蕪村の気持ちがこの作品に現れている。

画が大成し、画家 としての充実を迎えるのは63歳前後といわれる。
即興的で軽妙な俳画に独自の領域を開拓するとともに、山水では彩色の美しさが洗練される。
美しい墨色、白と黒のコントラスト、とりわけ夜の夜気、冷気までを伝える。
与謝蕪村が描く作品は、どれも 写実的 で特徴をしっかりと押さえ描かれていることが特徴である。
また根底に、老荘思想、道教への強い傾倒があったことが指摘されている。
68歳という若さでこの世を去った。明治になってから評価が高まった。

与謝蕪村の主な出来事や作品の年表

1716年(享保元) 摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれる。
享保元年(1716年)摂津の毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に、村の有力者の家に生まれる。
1736年の頃 十代の頃に父と母を亡くし、家を失って、20歳の頃、江戸に下り、早野巴人に 師事 し俳諧を学ぶ。
その二年後、江戸で、夜半亭巴人という俳人に 弟子 入りする。このときのは宰鳥。
1742年(寛保2)27歳の時、師が没し、下総国結城(現在の茨城県結城市)の砂岡雁宕のもとに寄寓する。
松尾芭蕉の行脚生活に憧れ、僧の姿に身を変えて足跡を辿り東北地方を周遊した。
1744年(寛保4)砂岡雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩宅に居寓。
その際に編集した「歳旦帳(宇都宮歳旦帳)」で初めて蕪村を する。
その後、丹後を歴遊し42歳の頃京都に居を構え、与謝を名乗るようになる。
1747年の頃45歳頃に結婚し一人娘くのを儲けた。
1753年の頃51歳、讃岐に赴き、多くの作品を手掛ける。その後、再び京都に戻り、以後、京都で生涯を過ごした。
1770年(明和7)夜半亭二世に推戴される。
1784年(天明3)京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で死去。68歳。

生涯師につかず、独自に 画風 を開き、60歳を超えて才能を開花させた。
遅咲きあるいは、晩成型の俳人・画家 だっただけに、経済的にはほとんど恵まれなかった。
そのため、ほぼ生涯を通して貧乏と縁が切れず、この生い立ちは、彼が創始した俳画作品にもよく表れている。
蕪村は、芭蕉を敬慕しており、奥の細道図だけで少なくとも10点は描いている。
絵の修業時代には、奥の細道を追体験する遍歴の旅をしている。
蕪村の俳画において絵と俳句は混然と溶け合い、絵で俳諧する世界を構築したといえる。
「奥の細道図 屏風」や「奥の細道画巻」はその最たるものといえる。
芸術と人間は一体だと考えた蕪村は生来、去俗の人だった。
京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、1784年(天明3)未明68歳の生涯を閉じた。
辞世の句は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」。
墓所は京都市左京区一乗寺の金福寺にある。

与謝蕪村 の代表的な作品には、「山水図」「十便十宜図」「紅白梅図」「蘇鉄図」「山野行楽図」「竹溪訪隠図」「奥の細道図巻」「野ざらし紀行図」「奥の細道図 屏風」「奥の細道画巻」「新緑杜鵑図」「竹林茅屋・柳蔭騎路図」「春光晴雨図」「鳶烏図」「峨嵋露頂図」「夜色楼台図」「富嶽列松図」「柳堤渡水・丘辺行楽図」「蜀桟道図」などがある。

「奥の細道図」は、芭蕉による「奥の細道」全文を書写し、さらにそこに詠われた情景を描いた蕪村の絵を載せたもの。江戸時代前期に活躍し、東日本を旅した内容をまとめた「奥の細道」で知られる俳人・松尾芭蕉をこよなく愛した与謝蕪村は、1770年代の後半に「奥の細道図」を描いた。この作品によって、俳句を絵画で表現する「俳画」という分野が確立されたといわれている。

「十便十宜図」は、中国の詩人・李漁による「十便十宜詩」をもとに、そこで詠われた情景を絵画にしたもの。同時代に活躍した池大雅が「十便図」を、蕪村が「十宜図」を描いた。蕪村と大雅はともに江戸時代中期における文人画の代表的 画家 と見なされており、その合作作品の「十便十宜図」は高い価値を持ち、国宝 に指定されている。

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