酒井田柿右衛門 買取

古美術やかたは、酒井田柿右衛門の作品を後世に伝えたいとの思いで、半世紀営業してきました。
酒井田柿右衛門の作品は、絵の空間が広く、濁手素地 と呼ばれる、柔らかく温かみのある乳白色の素地が特徴です。
十二代柿右衛門や十三代柿右衛門により濁手素地を復元し、1955年無形文化財、その後、重要無形文化財として総合指定。

【老舗骨董店の一味違う営業実績】
酒井田柿右衛門 買取価格のワンポイント
販売から買取の当店ならではの技
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安心して酒井田柿右衛門買取依頼出来る6つの技
酒井田柿右衛門作品の種類や説明と鑑定機関

酒井田柿右衛門の買取事例や買取価格と作品説明
                                 

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酒井田柿右衛門の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

酒井田柿右衛門(さかいだ かきえもん)・特徴と技法

酒井田柿右衛門買取

濁手柘榴文花瓶

柿右衛門の作品の大きな特徴の一つに、『濁手素地』と呼ばれる、柔らかく温かみのある乳白色の 素地 があげられます。
柔らかくて温かみのある乳白色の素地の上に、余白を十分に残した明るく 繊細 で絵画的な 構図 を描いています。
赤色の 釉薬 との組み合わせによって非常に映えると言われ、赤絵 を主体に花鳥図等、暖色系の色彩で描かれました。
1670年代頃には技術的にも完成され、いわゆる典型的な「柿右衛門様式」の 色絵 磁器が確立していきました。
柿右衛門様式の 色絵 磁器は、海外でも人気で、ヨーロッパ等の諸外国へ大量に運ばれていきました。
当時のヨーロッパの王侯貴族たちはその華麗な色絵磁器に魅了され、競って手に入れたといわれています。
中国・景徳鎮磁器の輸出が再び本格化し、オランダ東インド会社による肥前磁器の輸出が減少、江戸時代の幕府による鎖国で、貿易制限等国内情勢の変化も相まって、中断を余儀なくされました。

その後時代は明治時代へと移り、十二代柿右衛門(1878生~1963没)や十三代柿右衛門(1906生~1982没)の活躍により、古文書 を基に試行錯誤して長い間途絶えていた濁手素地を昭和28年復元し、1955年国の 無形文化財 に選択されました。
1971年には、柿右衛門製陶技術保存会を設立して国の重要無形文化財、「柿右衛門(濁手)」として総合指定を受けます。
十三代没後は、十四代、十五代柿右衛門と継承され、「柿右衛門(濁手)」の事業を継承、現在に至っています。

酒井田柿右衛門の作品  作風と買取価格のワンポイント

酒井田柿右衛門買取

濁手南天文花瓶

代々酒井田柿右衛門の作品で、柔らかく温かみのある乳白色の濁手素地に、独自の構図の作品は高価買取させて頂きます。十四代が人気ですが、十二代柿右衛門、十三代柿右衛門、十四代柿右衛門の「濁手」の作品は高価買取させて頂きます。

柿右衛門の作品は「濁手」の本人作と工房作品の「窯物」に区別されています。
工房作品には、作品の底に「柿右衛門」と青い字で書かれており、数物 で買取価格は安くなります。本人作の「濁手」柿右衛門では、作品の底には何も書かれていません。

 

代々酒井田柿右衛門の年表

初代 酒井田柿右衛門(1596〜1666)
柿右衛門様式は、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれています。
余白のある乳白色(濁手)の地肌に豊かな 構図 が特徴で、赤色系の 上絵付 で柿右衛門様式と呼ばれる磁器を確立した。
また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多く、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせる。
柿右衛門様式の 色絵 磁器は、高く評価され、オランダ東インド会社によって世界各国へ大量に販売されました。
ヨーロッパのマイセン や 磁器の発祥地中国の 景徳鎭窯 にも影響を与え模倣品も作られました。

二代 酒井田柿右衛門(1620〜1661)初代の息子。
三代 酒井田柿右衛門(1622〜1672)初代の息子。二代の弟。
四代 酒井田柿右衛門(1640〜1679)三代の息子。
三代までは製作期が重なっており、作風 にも大きな差は見られない。
また、三者とも極めて技量が高かったと言われる。
五代 酒井田柿右衛門(1660〜1691)
六代 酒井田柿右衛門(1690〜1735)
食器類のほか 花入香炉など様々な磁器製品を高い水準で量産することに成功し、中興の祖とされる。
1724年に藩に嘆願書を提出し、臨時の発注の一部が用命された。
七代 酒井田柿右衛門(1711〜1764)
四角の中に福の字が入った「角福」を使用し始める。
これは明清の 陶磁器 に元々あったものである。
高い技術が要されることなどから七代以降、濁し手 が中絶する。
八代~十代が後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作した。
十一代 酒井田柿右衛門(1839〜1916)1860年、襲名
海外にも積極的な出品を行なった。

十二代 酒井田柿右衛門(1878〜1963)
十二代、十三代により濁手が復元される。
1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。
濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択された。
1971年には重要 無形文化財 に指定されている(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)。
十三代 酒井田柿右衛門(1906〜1982)
十四代 酒井田柿右衛門(1934〜)1982年、襲名
多摩美術大学 日本画 科卒業、佐賀県 陶芸 協会会長。
日本工芸会 理事。日本工芸会西部支部幹事長、九産大大学院芸術研究科専任 教授
十五代酒井田柿右衛門(1968年~)2014年、襲名、当代。

 

酒井田柿右衛門の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

酒井田柿右衛門の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には酒井田柿右衛門の自筆のサインと 落款 が押されています。共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。

鑑定書の有無に関わらず、まず当店で無料の真贋の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
汚れや傷みがある場合でも、現状のままお持ちください。

酒井田柿右衛門の鑑定は、下記の鑑定機関で行われており、真贋を問うだけで約3万円~5万円かかります。

【所定鑑定人・鑑定機関

➀ 東京美術倶楽部鑑定委員会

➁ 当代 酒井田柿右衛門

お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

百聞は一見に如かず、是非ご覧ください。
お譲り頂いたお客様に納得頂き、信頼と安心をお届けします。

酒井田柿右衛門をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には酒井田柿右衛門の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
酒井田柿右衛門の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問合せ下さい。

酒井田柿右衛門の買取実績と買取価格の解説

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買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

 

酒井田柿右衛門 略歴

酒井田柿右衛門買取

濁手山つつじ文花瓶

江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の 陶芸家、および代々その子孫(後継者)が 襲名 する名称。
有田焼の職人で、もとは 陶器白磁、染付などの 磁器を製作していたが、17世紀前半に 赤絵 磁器の焼成に成功した人物。
初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の 作風 を確立する。
その後、作品はヨーロッパなどにも輸出され、マイセン窯や磁器発祥の地である中国の 景徳鎭窯 にも多くの影響を与えた。
乳白色の素地(濁し手)に、華やかな 色絵 付けを施し、 余白を生かした絵画的な作品となっている。
典型的なものは柿右衛門窯の制作と考えられるが、他の でも類似の物を数多く作ったので、 これらを総称して柿右衛門様式と呼ばれている。
柿右衛門様式は、主に 大和絵 的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴である。
上絵の色には赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられる。
また、器の口縁に「口銹」と言われる銹釉が施されている例も多い。
同じ有田焼でも、緻密 な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせる。
濁手と呼ばれる独特の乳白色の地色は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えると言われる。
しかし、原料となる土の耐火性が強いなど調合が困難である。
さらに焼成時・乾燥時の体積変化が非常に大きいため、作製が困難であり歩留まりが良くない。
図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的なパターンがいくつかある。
絵柄は時代とともに変化しており、初期は明赤絵の影響があったが、やがて狩野派、土佐派四条派琳派などの影響が入っていった。
近年は写生を基にした現代的な 画風 が多い。
第十五代酒井田柿右衛門(1968年 ~、旧名・浩、2014年に襲名)が当代である。

酒井田柿右衛門の主な出来事や作品の年表

初代 酒井田柿右衛門 1596 (慶長元)年~1666 (寛文6) 年
2代 酒井田柿右衛門 1620 (元和6) 年~1661 (寛文元)年
3代 酒井田柿右衛門 1622 (元和8) 年~1672 (寛文12)年
4代 酒井田柿右衛門 1641 (寛永18)年~1679 (延宝7) 年
5代 酒井田柿右衛門 1660 (万治3) 年~1691 (元禄4) 年
6代 酒井田柿右衛門 1690 (元禄3) 年~1735 (享保20)年
7代 酒井田柿右衛門 1711 (正徳元)年~1764 (明和元)年
8代 酒井田柿右衛門 1734 (享保19)年~1781 (天明元)年
9代 酒井田柿右衛門 1776 (安永5) 年~1836 (天保7) 年
10代 酒井田柿右衛門 1805 (文化2) 年~1860 (万延元)年

11代 酒井田柿右衛門 1845(弘化2)年~1917(大正6)年
1885(明治18)年、「角福(渦福)」 を商標登録した。
1890(明治23)年、内国 勧業博覧会 で有功賞を受賞した。
1893(明治26)年、アメリカ・コロンブス万国博覧会で二等有功賞を受賞した。
藩の統制下にあった 業が廃藩置県により自由化されて急激に世の中が移り変わる中で、
11代は低迷を続ける柿右衛門窯を復興させたいという強い意志を抱いた。

12代 酒井田柿右衛門 1878(明治11)年~1963(昭和38)年
11代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれた。
本名を正次。
1917(大正6) 年、12代酒井田柿右衛門を襲名。
1919(大正8) 年、実業家・小畑秀吉と柿右衛門焼合資会社を設立した。
1921(大正10)年、九州沖縄一府八県連合共進会で銀牌を 受賞 した。
1926(大正15)年、実業功労者として表彰を受けた。
1927(昭和2) 年、御大典の際に 置物 を献上した。
1928(昭和3) 年、柿右衛門焼合資会社を脱退し、
「角福(渦福)」銘を奪われた柿右衛門家は新たに「柿右衛門作」という銘に切り替えた。
1940(昭和15)年、工芸技術保存作家の指定を受けた。
1953(昭和28)年、長男・渋雄(13代酒井田柿右衛門)と 濁し手 素地の復興に成功した。
1954(昭和29)年、佐賀県重要無形文化財に認定された。
1955(昭和30)年、「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、
記録作成等の措置を構ずべき 無形文化財 として選択を受けた。
日本工芸会会長賞を受賞。
1957(昭和32)年、文化財保護委員長賞を 受賞
1958(昭和33)年、ブラッセル万国博覧会でグランプリを受賞。
1962(昭和37)年、勲四等瑞宝章を受章した。
11代から引き続く困難な世相と厳しい経済状態の中で、
「角福」銘を譲り渡すという苦難を経験しながらも頑固な職人気質と高い志を持って、地道な制作活動と熱心な研究により近代柿右衛門復興の祖として絶大な功績を残した。
長男・渋雄と手掛けた濁手 素地 の復興は、12代の 晩年 を飾るに相応しい究極の到達点・偉業となった。
歴代柿右衛門の中でも名工の誉れが高く、濁手発表に至るまでに残した錦手作品は12代の苦悩の結晶ともいえる。

13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年
12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれた。
本名を渋雄。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功した。
1955(昭和30)年、「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、
記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けた。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門 を襲名。
一水会審査員に就任。
1964(昭和39)年、日本工芸会 正会員となる。
1966(昭和41)年、佐賀県 文化功労者 に選択された。
柿右衛門」の陶芸 技法 が佐賀県重要無形文化財に指定された。
濁手草花文蓋物が宮内庁に買い上げられた。
1967(昭和42)年、佐賀県重要 無形文化財 に認定された。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に濁手瓢形壷一対を制作した。
1970(昭和45)年、佐賀県 陶芸 協会会長に就任した。
濁手菊鳥文 が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示された。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で柿右衛門製陶技術保存会を設立する。
これは素地の調製から作品完成に至るまでの工程を江戸時代以来の分業による集団体制で、
伝統 の濁手によって柿右衛門様式を制作する技術保持を目的とした団体。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受けた。
濁手露草文鉢等が宮内庁に買い上げられた。
東宮御所の御用食器を納入した。
濁手花鳥文陶額がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられた。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章。
1974(昭和49)年、迎賓館に濁手梅花文壷を制作した。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を 受賞
濁手草花文鉢と濁手椿文壷が文化庁に買い上げられた。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定された。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の 称号 を受けた。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名である。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、日本画 家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げた。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量の スケッチ を取った事でも知られており、こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られた。芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなった。

14代 酒井田柿右衛門 1934(昭和9)年~2013(平成25)年
13代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれた。
本名を正。
1958(昭和33)年、多摩美術大学 日本画 家を卒業後、帰郷して12代と13代に 師事 した。
1967(昭和42)年、一水会会長賞を受賞した。
1971(昭和46)年、日本工芸会 正会員となる。
1982(昭和57)年、14代酒井田柿右衛門を襲名。
日本工芸会理事、柿右衛門製陶技術保存会会長に就任。
1983(昭和58)年、アメリカ・サンフランシスコ市より 名誉市民 の称号を受けた。
1984(昭和59)年、日本陶磁協会賞、佐賀県知事賞を受賞した。
1986(昭和61)年、日本工芸会 奨励賞 を受賞した。
1992(平成4) 年、一水会陶芸部運営委員に就任した。
日本工芸会奨励賞を受賞。
1993(平成5) 年、国際陶芸アカデミー(IAC)名誉会員に就任した。
1994(平成6) 年、日本伝統工芸 展監査委員に就任した。
1997(平成9) 年、佐賀県陶芸協会会長に就任した。
1998(平成10)年、外務大臣表彰を受けた。
1999(平成11)年、九州産業大学大学院芸術研究科専任 教授 に就任した。
文部大臣表彰を受けた。
2000(平成12)年、有田陶芸協会会長に就任した。
2001(平成13)年、佐賀県立有田窯業大学校長に就任した。
重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定された。
佐賀新聞 文化賞 を受賞した。
2005(平成17)年、旭日中授賞を受賞した。
有田町名誉町民の 称号 を受けた。
2006(平成18)年、日本工芸会副理事長に就任した。
2007 (平成19) 年、西日本文化賞を受賞した。
伝統 技術を踏襲しながら現代性を加味した独自の 作風 を展開した。

15代 酒井田柿右衛門 1968(昭和43)年生
14代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれた。
本名を浩。
2010(平成22)年、九州産業大学芸術学部美術学科非常勤講師に就任。
2012(平成24)年、有田陶芸協会会員。
2013(平成25)年、柿右衛門製陶技術保存会会長に就任。
日本工芸会 正会員となりる。
2014(平成26)年、15代酒井田柿右衛門を 襲名 した。

 

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