日本画の買取事例や買取価格と作品説明
●日本画や絵画買取で他店との違いが一目瞭然!
本物の古美術骨董の世界を紹介します。
「百聞は一見にしかず」 日本画買取依頼で失敗したくない方、是非ご覧下さい。
★骨董と言えば千年の都、京都が一番の本場で、その中心地、祇園骨董街の老舗骨董店が「古美術やかた」です。
土地柄、名品や文化財の宝庫で、貴重な古美術骨董品の査定や鑑定を長年繰り返し、その経験実績は日本でも№1です。
そんな当店が本物の古美術骨董の世界を紹介します。
販売価格を提示して買取価格を決定します
買取りさせていただいた日本画は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。
形だけの販売写真をよく見かけますが
当店ではこのように本当に販売しています
直接小売販売できるから、高価買取!!
当店では、実際に販売をしております。高価な日本画には買取相場はありません。
当店には相場に関係なくお買い求め頂くお客様が多くおられ、お客様の要望で買取価格を決定出来るからです。
日本画売却のポイント
額装の日本画には裏側に 共シール と呼ばれる名刺大の紙が貼られています。また掛け軸では、買い求めたときに入っていた箱を 共箱 と呼びますが、そこに作者の 花押 や 落款 が書かれています。この共シールや花押、落款は本物である保証書の代わりをするものですので大切に扱って下さい。また、シミ、汚れ、のある日本画も手入れをせず現状のままお持ちください。
山口華陽 雪
お買い求めのお客様が自分の好きなように直されます。
日本画は、規格が統一されて、カタログで販売できるようなブランド品ではありません。一点物の 書画 には多くの偽物があり、確かな鑑定眼が求められます。
やはり骨董と言えば千年の都、京都が一番の本場で、その中心地、祇園骨董街の老舗骨董店が「古美術やかた」です。土地柄、名品や文化財の宝庫で、貴重な古美術骨董品の査定や鑑定を長年繰り返し、その経験実績は日本でも№1です。買取店や買取だけを宣伝している骨董店では無く、一点数百万円の骨董品や日本画を販売できる信用と鑑定眼がある京都祇園の老舗骨董店だからこそ、高価買取させて頂けるのです。ご親族が集めていた日本画の売却をお考えの方や、納得のいくお店で話を聞きたいとお思いの方はお気軽にご相談くださいませ。
日本画の作家紹介
上村松園
主な日本画作家は、秋野不矩、青木木米、池大雅、池田遙邨、石川晴彦、伊藤小坡、伊東深水、伊藤若冲、入江波光、上村松園、上村松篁、上村淳之、浦上玉堂、尾形光琳、尾形乾山、奥田元宋、奥村土牛、小倉遊亀、小野竹喬、小村大雲、片岡球子、葛飾北斎、金島桂華、鏑木清方、下保昭、加山又造、川瀬巴水、川合玉堂、川端龍子、川村曼舟、神坂雪佳、河鍋暁斎、菊池契月、後藤純男、酒井抱一、柴田是真、下田義寛、下村観山、杉山寧、千住博、曽我蕭白、高山辰雄、竹内栖鳳、竹久夢二、土田麦僊、土佐光起、富岡鉄斎、富田渓仙、堂本印象、中路融人、中島千波、中村岳陵、橋本雅邦、東山魁夷、平松礼二、平山郁夫、福王寺法林、福田平八郎、前田青邨、松尾敏男、円山応挙、棟方志功、村上華岳、森狙仙、森田りえ子、山口華楊、横山大観、与謝蕪村です。
日の目を見ず埋もれた日本画が多くあり、このような作家の作品は高価買取対象で、驚きの価格で買取させて頂くこともよくあります。特に内国勧業博覧会や 展覧会、個展 の出品作品は貴重とされ、特別高価に買取させて頂きます。
日本全国対応致します、
まずはお問い合わせください
お問い合わせのお電話番号
075-533-1956
11:00~18:00(定休日:月・火)
※ご予約の買取業務は定休日も行っております。
日本画の歴史と説明
陸茶僊著書図
富岡鉄斎
日本の絵画の芽生えは奈良時代から平安時代にかけてと言われています。隣国から渡来した図画が「唐絵」と呼ばれており、これに対抗すべく日本的な絵が次々と生まれていきました。古くは「日本絵」というよりは大和絵と呼ばれていました。その後、桃山時代後期の琳派、江戸期末期まで栄えた狩野派、江戸中期から京都で有名になった円山・四条派、そして浮世絵など、次々といろいろな流派が生まれました。
琳派、狩野派、円山・四条派 などの有名流派や著名な作家の絵画は高価買取対象です。それぞれの流派を簡単に説明します。
琳派は、世襲や直接の師弟関係がなく、特異な画派として知られています。始祖は 著名 な作家の本阿弥光悦と俵屋宗達とされています。その後 画風 を受け継いだのが尾形光琳で百年の時を経て酒井抱一らが後に続きました。琳派には 家元 のようなものは存在せずに、時代や身分を超えて断続的に継承されているのが特色と言えます。日本画 の 大和絵 の 伝統 を基に、装飾性やデザイン性が豊かであるのが特徴です。
狩野派とは、400年の歴史をもつ日本画の御用絵師の門閥です。15世紀の室町幕府の時代に始まり、権力者に用いられ、血族や師弟関係により維持された日本画史上最大の画派です。室町幕府の狩野正信を祖とし、技法 育成することで一定の品質を保った絵画を製作し続けました。日本画の 狩野派 は、漢画の中国画と大和絵を融合させることで、一流画派としての 画風 を確立させました。主に 花鳥画、動物画、人物画、風景画、山水画、水墨画などの 日本古来 の 図柄 が多く、巻物 や 掛軸 また 屏風 などが 文化財 として残っております。
円山・四条派とは、江戸中期の円山派の祖である円山応挙の写生的画風に、四条派 の祖である呉春を合わせた呼び名です。江戸時代の日本画史において、その前期の狩野派に対して、後期にその役を担った日本画の流派です。激動の明治時代を乗り越えて自分の 称号 や 号 また流派を 襲名 出来、著名な作家になります。当時は自然主義的傾向が文化全般で、応挙は、呉春や長沢蘆雪を育成して 円山派 を形成し、呉春たちは応挙 画風 を瀟洒なものに変えて四条派を開きました。その弟子では松村景文、岡本豊彦ら 著名 な作家がおり、京都画壇や近代日本画の成立に大きな役割を果たしました。
その後、フェノロサが日本の美術に強い関心を示し、通訳を勤めており助手であった岡倉天心らはこれに大きく力づけられました。フェノロサが最初に使った「日本画」という言葉は、中国や朝鮮半島に由来しながらも、日本の中で熟成、独自に発展した様式について言っているものとされ、岡倉天心らが育ててきました。1889年に岡倉天心は現在の 東京美術学校 を開き、翌年校長になると、絵画としては橋本雅邦らを教師として日本画を教えました。その橋本雅邦の第1期生には横山大観らがいます。激動の 明治維新 の時代を朦朧体の横山大観やその後の弟子たちが乗り越え、現在の日本画を作り上げてきました。その後、著名な作家や新しい 画風 が育ち、創画、文展、院展、日展 の 博覧会 に入選する作家や、文化勲章、帝室技芸員 の作家も生まれ現在に至ります。
一般的に知られている近代や現在の日本画作家も高価買取対象です。
買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技
★出張買取無料・宅配買取の送料無料・日本全国対応いたします★
販売商品
PRODUCT
お買取りさせて頂いた品物はこのように価格表示して
お店やホームページで販売、掲載しております。
買取作家一例
買取方法と流れ
★出張買取 出張・査定・見積り、全て費用は無料
★宅配買取 送料無料、買取価格保証
★全て現金でお支払い
出張買取無料・宅配買取の送料無料・日本全国対応いたします
都道府県は五十音順で並んでいます。
買取実績
PURCHASE RECORD
老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。
寄せ集めの鎧兜ですが骨董品売却依頼を頂き、出張してお譲り頂きました。
写真が4枚あります。くわしくはこちら
この 鎧兜 は、江戸時代から明治時代初期頃に作られた 逸品 です。胴丸や腹巻も寄せ集めで、買い求められた時から使用されていた部品ではないと思われますが買取しました。長年時代を経てきた味わいがあり、それぞれの部品は 保存状態 の良い逸品ですが寄せ集めで価格的には安い品物ですが買取しました。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のような 逸品 です。この作品は販売はしていませんがこのような鎧兜は日本の大切な骨董品なので参考に紹介します。
鎧兜の説明を少ししますと、甲冑(鎧兜)とは、甲(鎧:よろい)及び冑(兜:かぶと)のことで、胴体部分を守る鎧と、頭部を守る兜からなる防具です。江戸時代に入り、天下泰平の世の中になると、甲冑(鎧兜)は、武士の威風を示すための道具になります。実戦での使用がなくなったことで、甲冑(鎧兜)には様々な装飾が施されるように。そして、幕末から明治維新の時期においては、武器の進化に追いついていくことができなかった日本式甲冑は、防具としての役割を終えました。このような日本の 金工作品 の歴史を辿る品物なので紹介しました。
アクセス
京都市東山区大和大路通新門前上ル西之町197番地